そう、庭に植えてある少しばかりの行者にんにく。こいつを生のまま醤油漬けにしたものが、ちょうど食べごろになっていたので、ひと箸を冷や奴に載せて味わう。ぐぅ、たまらん。
いや、今日は行者にんにくのことではない。さらに桁違いに邪悪なる味わいのことだ。
拙宅の庭ではイチリンソウの花が可憐に揺れていた。僕の、美味なるものを求める魂も揺れていた。
すこし前に書いた、邪悪なる葉山椒の佃煮をこしらえた時の、邪悪なる山椒の樹。その日、葉影に若い実を付けていた。この邪悪な実を、まだ熟す前の柔らかくみずみずしい実を、ごっそり摘み取ってしまえ。
五月二十二日。庭に出て作業。一時間ほどの摘み取りで、笊を半分満たすことも出来ない。
その先には、ずくを要する作業が待つ。実に付いた軸を、はさみで切り落とすのだ。僕にはこの軸がよく見えない。視力が衰えているからだ。やまれず、近所の百均で「シニアグラス」なるものを買い求めた。ああ、老眼鏡とも云う。
見える。眼前の世界が細部まで、見える。邪悪な実はみかんの皮のように、表面がぼつぼつしている。知らなかった。そうか、おまえ、柑橘類だもんな。
そうであったか....。チームROD(Run or Die)のランナー、KMD氏がかつてこうツイートした。デモやん閣下の声で、
おまえを老眼鏡で見てやろうか!
うわあ、この意味がはっきりと分かる。極限に小さなこの果実の、微細な表面まで見て取れる、老眼鏡のこの威力。
てか、おいらいつの間に....。
長い作業の果てに、これだけの素材を手に入れた。
山椒の実の保存方法としては、醤油で炊く、と聞く。が、火を入れることであの弾けるような味わいを損ねてしまう。これを嫌って、生のまま醤油漬けにする。
ひと月ほどの時が移ろう。
とある宵の、僕の酒肴のひととき。
肴のひとつ、厚揚げを炙って、自家製紅生姜を添えたもの。これ、新生姜をなんと、梅酢に漬け込むという、贅沢な味わいの逸品。僕の人生の愉しみのひとつ、豚骨ラーメンのために仕込まれたものだ。最高。
これが、冷蔵庫の中で闇の小瓶に眠りし、山椒の実。
邪悪なる味わいは、我が食卓に降臨する。
あらゆる者ども、平伏するが良い。這いつくばるが良い。
金目鯛のカブト煮に、邪悪なる者が舞い降りる。
その邪悪さたるや、筆舌に尽くし難く、僕は語る言葉を持たない。あざやかに香り、さわやかに迸り、あでやかに震わせ、華やかに響く味わい。もうこの世のものではない。
土用丑の日が近づくと、このような悪夢も予想される。永遠に邪悪なる味わい、我らを引きて昇らしむ。
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