2017年2月19日日曜日

湯多里 山の神



谷は南東から北西方向に開けていて、朝の日差しが谷の底まで届いている。僕は谷底の温泉の、斜面の下にしつらえられた露天風呂にいた。まぶたを閉じて放心している。日差しは僕のまぶたの薄い組織を貫いて、眼球を温めている。背もたれにしている自然石は滑らかで、ごつごつと不快な思いをさせたりしない。まぶたを閉じて、何か考えようとして、こんなしあわせな状況下で「何かを考える」ということの難しさを知る。

そうだ。僕の人生における事柄の、これまでの事とこれからの事の大部分については、決着がついてる。未来の事はこれから起きるだろうしこれから決着をつけるのだろうが、方針は定まっているし迷いも悩みもないだろう。

うん。僕は十分にしあわせな訳だから、何かを考える事はやめよう。

考える事を放棄して、背中の自然石の滑らかな感触に陶然としている。考えを放棄しているはずが、館内の自販機の冷えた珈琲牛乳のことを思い浮かべている。一度湯船を出て、よく冷えた珈琲牛乳を、ガラス瓶から紙のキャップを外して、一気に飲もうかゆっくり味わおうか少し逡巡して、結局一気飲みして、それからまた湯船に戻ろうか。結局それも面倒に思えて、珈琲牛乳をお預けにする。

まぶたがあたたかいな。
それもそうだ、節分を過ぎてもう春が戻ってきたのだから。山に行ってないな。しかたがない、週末が休めないのだから。いろいろな想念がよぎるが、どれも長続きしない。

そういえば以前に、この温泉のすぐ近所で、1,300万年前のアシカの化石が出たという話を思い出した。当時、日本海が拡大し、日本列島はユーラシア大陸の縁から引き離されるように太平洋側に移動していたころだ。飛騨山脈の東側、この松本盆地も筑摩山地も海の底で、あたたかな海の中を海獣たちが遊弋していたのだろうか。数キロ離れた四賀ではクジラの化石も出ている。

ここは、かつては海の底か。


シームレス地質図というサービスで、この温泉が湧き出る谷の地質を探る。やはり、「前期中新世-中期中新世の海洋性または非海洋性堆積岩類」とある。アシカの祖先が生きていた時代の、海の底に積もった堆積物の地質だ。海の底は隆起して山となり、長い年月が雨を降らせて谷を削り、そんな場所に湧く出で湯がいま、こうして「山の神」と名付けられている。生きている人間には計り知れない、時の流れのスケールに圧倒される。