2015年6月30日火曜日

プールサイドで 2015年、夏。


その日曜日。午後のひととき、ラジオから流れる達郎さんのトークを聴きながら、僕はプールサイドに過ごしていた。


空は青く、遠くに浮かぶ雲は穏やかで、梅雨はどこへ行ったのか、と訝しく思えてくるような天気だった。


山に行けば良かった。稜線のある小屋で働いている友人が、数日前に報せを寄越した。「こまくさが咲いたよ、見に来い」と。これは「酒が切れた、担いで来い」の意を含むから迂闊に乗ってはいけないが、違う山に行けば良いだけの話。こまくさを眺めに、出掛けたいとは思っていた。



9歳になる娘の小豆が、またターンを切った。

10往復目を越えたあたりから、僕は数えるのをやめた。25mプールをクロールで、だからもう500m以上を泳いでいる。昨年、同じこのプールで300mを泳ぎ切ったとき、僕は新しい水着を買ってあげようと約束した。その水着も、たった一年で小さくなってしまい、この日は窮屈そうに着ていた。そして「もう買い替えようね」とさっき話したばかりだ。この一年で、水着は小さくなってしまった分、小豆は300mから500mに距離を伸ばした。そしてターンを重ね、距離はまだ伸び続けている。


山に行けば良かった。
貴重な、梅雨の中休みの日曜日。天気予報では雨マークで絶望視していたのに、晴れてくれた。だからこうして、僕はプールサイドに居られるのだけれど。


プールの向こうでまたターンを切った小豆が戻って来て、今度は、水から上がって来た。

「パパ、ふふふ、千メートル泳いだよ」

息があがることも無く、ゴーグルを外しながらふつうに話しかけて来た。僕は山に行かなかったけれど、忘れようとしても忘れることの出来ない、たいせつな想い出をひとつ、こころに刻んだ。




2015年6月29日月曜日

「金の麺」を返り討ちにした話


セブンイレブンにて、「金の....」シリーズの袋麺を見つけた。

『生麺への挑戦。』

しかし、挑発的なコピーではある。68円(塩味・税抜)というプライス設定で「生麺」を謳うのか。パッケージ裏面には東洋水産(マルちゃん)との共同開発商品であると明記されている。僕は挑発に乗せられて、2袋を買い求めた。

このコピーには、こんな伏線が隠されている。

話は遡る。2011年11月7日リリースの袋麺で、たぶん初めて本格的な生麺タイプをコンセプトに掲げた「マルちゃん正麺」出現によって、インスタントラーメン業界には激震が走った。消費者の多くがこれを受け入れ、各社はこぞって追従せざるを得なかったのだ。

以来、およそほとんどのブランドが生麺タイプに舵を切る。そう、いまやインスタントラーメンはカップ麺から袋麺まで「生麺タイプ」の時代なのだ。そのトップランナーとして走る東洋水産=マルちゃんがここでわざわざ『生麺への挑戦。』を掲げるということは、満を持して他社の追従を振り切るという、それなりの自信作なのだろう。






なかなかに、ふてぶてしい面構えである。僕をせせら笑うように、嘲るように湯に浸っている姿が憎々しい。

茹でられているのである。それを、この上から目線でスルーしようとする根性が受け入れられない。クズ過ぎる。






3分ぐら経って、すこしほどけてきた。

しかし、なにを、偉そうに....。おまえ、態度悪過ぎ。身の程知らず。

たかが68円の袋麺の分際で、本当に「生麺」を貫く自信があるのか? 茹でられて盛り付けされて、どんぶりというステージの一番前、ど真ん中で、この僕に「ワイ生麺、生麺やで」と声に出して言えるか?

僕は、激昂した。この眼に余るまでに横柄な態度を取り続ける「金の麺」とやらを、ぐっだぐっだのぼろぼろにしてやりたかった。完膚なきまでに打ちのめす必要があった。地べたに這いつくばって、全身で泣き叫んで僕に赦しを請う姿を見たくなった。





「金の麺」よ。返り討ちにしてやる。





僕に死角など無いのだ。「金の麺」とやらが茹でられる前に、すでに隣のコンロでは野菜炒めが香ばしい匂いを放っていた。新玉葱、茸もどっさり、にんにくもしっかり。




野菜たちに火が入って、旨味が引き出されていく。油がまわって、美味しくなっていく。




おまえが「脇役」扱いにしてる、ほかの役者たち。ぜんぶスタンバイしてるけど、おまえが「エキストラ」と蔑む青葱は、まだメイクもしてない(刻まれてもいない)余裕のカマシ。それに較べて、おまえ必死過ぎ。青葱は、おまえが茹で上げられてどんぶりに移る直前に、刻むのだ。


おい、5分経ったぞ。
クッソ生意気な「金の麺」とかいうムカつく野郎、出て来い。
ボコボコにしてやる。







思い知ったか!



主役「金の麺」、存在感なさ過ぎw 片腹痛いわ。

青葱なんか庭の青葱で摘みたて、しかも刻みたて。半熟玉子も仕事してるし、野菜炒めの圧倒的パフォーマンス。

「金の麺」で「生麺への挑戦。」.... どんぶりにおまえの居場所、ないない。





ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ。


これは美味い生麺......



2015年6月27日土曜日

梅仕事2015、第一章


今年も、この季節が巡って来たのだ。

熟し梅を買い求め、塩にまぶし瓶(かめ)に漬け込み、真夏の太陽で灼く。これが数年前からの僕の愉しみである。ある年にこれを怠ったら、翌年の梅干が不足してつまらない思いをした。なんの、梅干など買ってくれば良い、という向きもあろうが、国産梅干の価格を想像すればぐぬぬとなるし、かといって支那産の物など食べたくもない。

こう書くと過剰に梅干が好きなのか? と誤解を受けるが、好きは好きでも普通に好きで、一日ひと粒を弁当に載せるだけである。週末の手料理に、たとえば鯵のたたきに青紫蘇と梅を添えて、というぐらいには使う。だから白状すると、食するのが愉しみなのではなくて、手作りするのが愉しみなのだ。昨年も引用したから再出になるが、水上勉さんのことばで  

 まことに、人は、梅干一つにも、人生の大切なものを抱きとって生きるのである。 

さらに、  

 世をたぶらかして死ぬだろう自分の、これからの短い生のことを考えると、せめて梅干ぐらいのこしておいたっていいではないか。 

これである。
すとんと心持ちの真ん中に落ちてくる言葉である。かくんかくんと、何度も頷いた後にもう一度「うむ。」と得心する。





前置きなど、どうでも良い。平成27年6月20日、梅5キロを購入。今年の初ロットは、群馬県産白加賀、等級記載の無いお徳用である。その証拠に1kgあたり198円。これを5kgだから千円に満たない。ここに手をかければ5kgの梅干が手に入る。費用対効果とかではなく、好きなだけ安心して食べられるという、こころの満足か。

冒頭の写真は、水洗いの様子。熟し具合に分けておき、まだ青いのは2時間ほど流水にさらす。黄色くなっているものはざっと汚れを流す程度。二枚目の写真は水洗い後。風に当てて乾かす。





粗塩は、750グラム。5キロだから塩分15%の梅干に仕上がる。いつもは20%、あるいは18%だから、すこし冒険である。何が冒険かというと、低塩分だと黴が発生しやすい。梅酢が上がるまでに時間を要するので、その間に梅の実に黴が付くのだ。これをやると大変で、昨年、少量だが失敗した。






さて、道具を揃える。真ん中のボウルの液はホワイトリカー35度。梅に竹串を丁寧に操って、へたを取る。その際に実にぶしっと刺さぬよう、細心の注意を払う。例年、娘の小豆が手伝ってくれるのだが、この日は遊びに行っている。なお、今年から、この場面でも老眼鏡を用いた。

へたを取ってホワイトリカーに浸ける。浸けて粗塩にまぶす。まぶして容器の底に並べていく。






丁寧に隙間無く並べる。体積が小さいほど短時間で梅酢に浸かる。黴から免れることが出来る。なお、傷がある梅の実は底の方に仕込む。最初に梅酢に浸かるからである。

(追記:昨年の南高梅の梅酢を保存してあったので、これを500ccほど借りて塩漬梅に注いでおいた。いわば呼び水ならぬ呼び梅酢で、これが功を奏して無事に梅酢を上げたのだろう。もちろん今年のロットから梅酢は回収し、来年用に保存しておく)




残りの塩を上に載せる。うがっ、こんなに! とお思いかもしれんが、これでも減塩15%なのである。この後、袋の口を緩く縛って埃の混入を防ぎ、重しをする。このロットの重しは、漬物用重し5kg、ダッジオーブン5kg、ペットボトルなど2kg。重すぎると梅が潰れ、切ない。軽すぎると梅酢が遅れ、黴が出てやるせない。






翌々日。6月22日夜、帰宅して確認すると、梅酢がしっかり上がって来ていた。これで半分は成功。この桶は次のロットのために空けておかねばならないので、瓶(びん)に移す。






6月27日現在、梅の実は梅酢の中に浸って梅雨明けを待つ。真夏の到来を静かに眠って待っている。土用の頃に瓶から出されて歓声を上げるだろう。だがしかし、無慈悲な灼熱の太陽に焼かれ炙り尽くされる運命も待ち受けていることを、未だ知らない。





2015年6月25日木曜日

裏山の水辺でクリンソウに出会う

その日に出会った花も、奇天烈だった。




扉温泉から鉢伏山というところまで、沢筋の小径が付けられてる。僕はミスト感一杯の森の空気につつまれて、この小径を歩いていた。平成27年5月31日のことだ。



沢沿いのトレイルはとても歩きやすく、せせらぎ、鳥の声、時おり梢を鳴らす風の音で満たされていた。


ああ、癒されるようだ。

森の上には荒々しいガスが巻いており、妖気漂う陰鬱な谷底には怪しげな羊歯(しだ)が繁茂し、しかも地面にはニホンジカの無惨な屍やら白骨やらをいくつも数えたけれど、僕自身はしあわせだった。




いつまでも消えそうにない頭上のガスに、数百回目の呪いを吐き捨てた頃、傍らに奇妙なものを見た。


なんなのだこのありえないぞうけいのさいくぶつは......





それは、何かの間違いで造形されたオブジェと云うか前衛的な作品と云うか、僕の理解と認識を越えた異世界の地平の彼方に咲く花だった。いや、宇宙の反対側の惑星の地下帝国の果てに、ひっそりと咲いているような花だった。ありえないよこんなの。




この花に出会う前の僕は、ごく普通に里山歩きを愉しんでいた。あのニホンジカたちとは違う境遇にあるし、マイナスイオン浴びてるし、とにかく普通にしあわせだったのだ。



ほらしあわせでしょ?




こんなみずみずしいみどりの中を漂って。





これはふつうに美しい。ベニウツギと云うのだと、某所でお世話になっている安曇野出身のkanosukeさんがご親切に教えてくれた。






でもこの姿には、ヤられた。なんだか混乱してしまう。




やはり尋常じゃない。




神さま何か間違ってます的な困惑を抱いて、僕は小径を登り続けた。

この花は、クリンソウだとkanosukeさん情報。どうもありがとうございました。











沢筋から尾根へ。落葉松に笹という、美ヶ原付近ではあたりまえの風景。




このガスにはもう二千回の呪いを浴びせてやった。




前鉢伏山山頂。




鉢伏山山頂。




穂高は見えず。かといってここで臆してセレモニーを怠るような男ではない。きちんと、決まり通りに大福をむしゃむしゃ。













扉温泉に降りる途中で、晴れてきやがった。あの奇妙な花のせいだ。










2015年6月24日水曜日

夏へと移ろう 時の狭間に


梅雨入りの頃。信州松本のこの辺りでは、林檎がもうこんなに。すこし前に爛漫の春に浮かれていたら、いつしか夏は兆して果実が太り始める日々を迎えていた。





風が田んぼの水面をゆらす。やがて育った稲で景色は鮮やかな緑に染まるだろう。

そんなある日、ぶらぶらと郊外の丘の方へやって来た。



かつて紳士淑女たちが憩いを求めてやすらいだ場所。いまは廃墟寸前。





きめえええ桑の実。この辺のこどもたちはこれをむしって普通に食すと聞くが、おいらには無理。



やっぱり無理。




どう考えても、無理。食べられないよ。




丘の上、棄てられた乗用車が二台ある。これを見に来た。

おお、木立が以前よりも茂っている。初めて見たのは五年前。




うははははは。やっぱり笑える。

はじめは小さな幼樹だったのだ。すくすく伸びて育って、ボンネットは最初から外されていたのか、エンジンルームを突き抜けて空を目指して。うはははは。やっぱり笑える。いのちのたくましさなのか、用を成さなくなった道具たちの上に流れた空虚な時間なのか。いや、その対比に風景としての面白さがある。ふふ、来年もまた見に来よう。










2015年6月21日日曜日

里山の片隅でハルリンドウに遇う


ひと月と少し前の5月10日。裏山の1,500mぐらいの尾根辺りが芽吹きを迎えた頃のことだ。




僕はいつもの晴れた日曜日と同じく、山靴に足を入れて沢筋から尾根道へと山の中を歩いていた。




落葉松の森にもみずみずしい緑が映えている。




朴の樹のアトラスも芽を出して、春を愉しんでいる。




気持ちの良い尾根道を少し登ると、




誰も居ない山頂。いつもと同じように僕は大福を頬張る。




帰りは、隣のピークへと続く長い尾根道に足を踏み入れて、針葉樹まじりの森を行く。




いろんなものが、長い信州の冬を耐えて、いまこうしてざわざわと蠢き始めている。





六人坊、三才山とふたつのピークを過ぎて、三才山峠に降りる。この、森の色合い。




梢に咲くいのち。


そんな風景の中で、僕は初めてこの花を見た。



ふだんは、足元の花にこころを配る余裕もなかったのだろう。この日は、数日前に出掛けていた穂高の山を眺めるために出かけてきた。遠く安曇野の彼方、蝶ケ岳の稜線の上に見えていた峰々を仰ぎ、僕は穂高の雪の感触を思い出していた。仲間のことや山の時間のことを思って感傷的になっていたのかもしれない。

大きな露岩の上に座り込んで写真を撮ったりしている時に、岩の基部の草付に、青い色彩が見えたのだ。覗き込むと、花束。いや、自然が生み出した造形の妙。

ハルリンドウと云うのだそうだ。来年もこれを見に来よう。この花に遇いに来ようと、備忘録として書き残しておく。






烏帽子岩から遠望する穂高とキレット、南岳。中央右の北穂に、僕は魂のかけらを置いて来た。




その烏帽子岩。「麻呂じゃ、麻呂じゃ、開けてたもれ」とかおっしゃりながら恋人の褥を訪のうた麻呂みたいだ。でもご神体だからあまり書くと罰が当たる。




神さますいませんさっきふざけたことを言いました。