2014年12月31日水曜日

師走カンジキ割干し大根

気が付いたら早いもので、大晦日である。

何事も成さず、何か成ったかと言えば少し劣化した。


信州の木枯らしに、大根を干す。干すといっても沢庵漬けではなく、1センチ角ぐらいに包丁を入れた大根。 下の写真奥のささやかな菜園でたくさん穫れた。このうち生りが小さくて炊くほどのものでもない貧弱なものを、どうにかして活かしてやりたかったのだ。



十日ほどでからからに干涸び、よく売ってる切り干し大根の太め、という体裁となる。






これで保存が効く。

早速使ってみようと、念願だった割干し大根漬けに加工する。水で戻すか茹でるか悩んだが、両方試すことにして今回はさっと湯がく。


2分も茹でていないが、風味が抜けることを嫌ってザルに空ける。このまましばらく放置。



水が切れた頃を見計らって、布巾に包んで絞る。

漬け汁は、醤油:酢:味醂を2:1:1とした。売っているものは、化学調味料のべたべたしたしつこさがダメなのだ。だから味付けも、シンプルにする。市販の塩昆布(細切り)と庭の人参の薄切りも混ぜる。



このままジップロックに密封して、勝手口横の寒い棚部屋の隅に放り込んでおく。



12月30日。前日の雨が里山の山肌も真っ白に。カンジキを携えて出かける。

美ヶ原高原ロングトレイルの一角とはいえ、この時期ノートレース。




山頂にも、ハイカーを迎えた痕跡が無い。 戸谷峰、1629.3m。






東尾根のコルに立つほおの樹、アトラス。
おいアトラス、いい年を迎えてくれ。来年もまた会おう。



割干し大根の包みを棚から取り出す。小皿に盛って、試食。


















うわこれなにおいしい、おいしすぎる。
酒も飯も、きっと捗ることだろう。




平成26年も、やがて半日ほどを残すのみ。諸賢に、おだやかですこやかな新年をお迎えいただきたく、祈念します。深謝。



2014年11月9日日曜日

晩秋の戸谷峰ハイク






広葉樹の森は、まだ色づいた葉を残していた。品庄沢という小さな沢沿いの道だ。僕はこの小径を辿って、戸谷峰という里山の尾根に向っていた。






 



松本市三才山稲倉のR254から戸谷峰を眺める。家々の庭先の柿の梢がすっかり葉を落として、だいだい色の実だけが重そうにぶら下がっているこの季節。山麓の落葉松は色づきのピークだが、戸谷峰の上の方は冬支度が済んだと見えて色彩はもうない。

戸谷峰(1629.3)は、美ヶ原の北寄りにある里山で、地元でも名を知らぬ人が多い。それでも美ヶ原高原ロングトレイルの整備で、歩く人も増えたようだ。

ハイキングコースは、三才山トンネルにも近いドライブイン前から道が付けられている。前の冬に歩いてみたら、まあ歩きやすい小尾根の道だった。僕は今回、違う尾根を選んだ。西尾根と勝手に呼んでいる長い尾根で、品庄沢の奥から取り付くことができる。稜線に乗ったらハイキングコースに合流して山頂を往復。帰りは西尾根を下るのではなく北西にある本郷山という1322.1mのピークに寄ってから品庄沢に降りる。こうすれば行き帰りで違ったルートを楽しめるグルリップが描ける。







小日向という集落から戸谷峰西尾根の末端を仰ぐ。戸谷峰山頂は西尾根の影になっている。この橋を渡って沢に降り、写真左端の谷を遡る格好で入山する。




落ち葉ふっかふか。





沢の奥から西尾根に取り付く。この日の足元は、ハンワグのクラックセイフティー、ボトムはストームゴージュアルパイン。気温が5-6度、ウエアリングが難しい季節だ。ホムセンの保温インナー上下にウール混のハーフジップシャツ、バックパックにはフリースとソフトシェルを携行。バラクラバは真夏でもかならず忍ばせている。






西尾根の「74鉄塔のコル」に乗る。右奥に見えているピークが帰路に通る本郷山。また送電線の先、対岸の「75鉄塔」が帰りの下降点。





高度を上げていくと、背中に北アの山々が。





落葉の尾根。道はないけれど歩くに困ることもない。





おいお前! 鼻はどうした!?





だんだん頭上が広く感じられるようになってくる。





細い尾根を辿りながら、一般道の通るジャンクションピークを目指す。





ジャンクションピークは5年ぶり。





ここからは赤テープや標識が見られる。誰も居ない。





山頂にも、僕独り。





槍穂高のピークを眺めて、しばし佇む。立山や劔も見えていた。何度も来ていて気付かなかったことは、南の甲斐駒、北岳、間ノ岳、仙丈がくっきり見えていたことだ。





帰路、ジャンクションピークを過ぎて本郷山方面に向う。かなり急な斜面もあって、落ち葉の上を尻セードできるぐらい。






凄く気持ちの良い、里山の時間。






このあと、北へ降りていくハイキングコースを右に見送り、本郷山の山頂へ。





1,200mぐらいまで降りてくると、ふたたび錦の天蓋を仰ぐように。






標高1,000m付近。いい色。




目指す尾根を一本間違えて谷を渡るはめになったりしたが、無事に品庄沢に降りる。沢沿いの小径を小日向集落まで戻り、カブにキックを見舞ってやると、とことこと走り出した。







腹が減っていたので、南浅間の豚骨店「狼煙」の暖簾をくぐる。至福のスープ、正しい真っ直ぐな麺、半熟玉子、替え玉も堪能して満腹に。





コースの様子、マップなどは【ヤマレコ】に上げておく。どうぞ、といえるプランでもないが、ご興味おありならばご参考までに。



2014年11月7日金曜日

なぞのほこらの謎



以前べつなところに書きかけたことだが、浅間温泉の裏山になぞのほこらがある。尾根道を登って行くと忽然と現れる、鳥居と茅葺き合掌型の屋根。屋根はブルーシートで雨対策も施され、ほこらを守っている。ほこらが例えばお稲荷さんとか馬頭観音さんとか、あるいは山の神とかならば、僕は「なぞのほこら」などと書かない。なぞのほこらと書くには充分な謎が満ち満ちている。ほこらに彫り込まれたモチーフが、剣なのだ。













 

浅間温泉の一角、美鈴湖へと続く尾根の末端をひと登りする。そこには、かつて金冠を出土させた五世紀の古墳「桜ヶ丘古墳」がたたずむ。この金冠はたしか日帰り入浴施設のホットプラザ浅間にレプリカが展示されていたな。








 
古墳を過ぎてなおも尾根を行くと、こんどは伊藤左千夫の歌碑。ここまでは案内板があったり遊歩道ふうに整えられたりしている。さらに登って行くが、道型ははっきりしており迷うこともない。





秋の深さを知る。



森はその装いを、冬の姿へと変えようとしている。




やがて、標高898.52mの四等三角点が落ち葉の中に埋もれかけている。この三角点に気付く前に、誰もが鳥居の存在に気付くだろう。



皮を剥いだ針葉樹の丸太を組み合わせ、角材の「貫」が渡されている。貫は柱の左右に突き出ているので、形式では鹿島鳥居といえる。貫はきちんと木製のくさびで固定されているが、扁額のように掲げられたものは無い。


茅葺きの合掌型の屋根に近づく前に、きちんと二礼二拍手一礼しておく。帽子は鳥居をくぐる前に取ってある。ほこらの前にそっとしゃがみ込んで、びびりながら覗き込む。


一年前に来た時には無かった酒瓶が備えられている。JIM BEAMが飲みかけなのは、捧げた人が飲んだ? ここで酒盛り? 前回はあまり接近できずに、屋根の下には入らなかった。今回、そっと覗かせていただく。ほこらは、見た感じではこの辺りに多い後期中新世-鮮新世(N3)の珪長質火山岩類(非アルカリ貫入岩)だろう。女鳥羽川の河原や拙宅の庭にもごろごろしてるやつだ。


あっ!



剣のかたち。前回眺めたときは、剣の形に窪んでいる凹状だと理解していた。が、違う。内部が空洞になっており、剣の形に「窓」が穿たれているのだ。しかも、なにやら木のお札のようなものが納められ、判読できないが墨痕のような、いやまさしく文字が書かれている。お賽銭に十円玉が二枚。


最大の謎である、この剣のモチーフは何だろう。

剣と言えば、お不動様が持っているから不動明王信仰のひとつの形だろうか。密教の法具に「法剣」てのがあったな。待てよ。八ツの権現岳のてっぺんにも剣が刺さってた。じゃあ権現信仰みたいな? 甲斐駒の黒戸尾根にも岩に刺さった剣あったし。そうすると修験道方面を探ればいいのか? それとも剣を持っているのは「烏天狗」、やはり修験道か。信州で烏天狗と言えば飯綱山だ。でも祠はほぼ西方向を向いてお祀りされていた。飯綱でも立山の方角でもない。あ、白山修験? 立山白山は、当地ではあまり聞かないな。ほとんど御嶽山だ。裏に回らせていただく。ほこらの裏とか側面に、何かないか....。


あった。昭和二年十一月吉日 集落名 中 と彫り込まれている。


集落名は、偶然にもすぐ傍らの四等三角点と同じ名前だった。浅間温泉の南側にある町名としていまも使われている。すると、その集落のひとびとがここに祠をお祀りし、いまでもたいせつにして参拝していると考えればいいのか。また、集落には、かつて松本城の城主だった水野家菩提所でもある浄土宗の古刹がある。このお寺さんの境内には滝がかかっており、お不動様が祀られていたはずだ。関連は?

そこでまた閃く。その古刹は、槍ヶ岳開山の播隆(ばんりゅう)上人ともゆかりが深い。鉄の鎖が槍の穂先に取付けられて満願成就の折り、病を得ていた上人はかの寺に滞在していたとか。とすれば上人を偲ぶ山岳信仰の「講」みたいな組織があって...? この祠は、いまでこそ樹林の底にひっそりとお祀りされている。けれど、三角点がすぐ側にあることを考えれば、以前は南から西、北方向を見晴るかすことのできる、パノラミックビューポイントだったに違いない。その彼方の、たとえば常念とか槍の穂先とかを遥拝する場所なのではないだろうか。うむむ。まだまだ調べてみなければ何も解らん。




祠から、森のトレイルは美鈴湖まで続いている。


なぞを解きに出かけて、謎は一層深まったでござる。





2014年10月30日木曜日

ぶらり伊勢路

所用があって、伊勢路へ。








秋深き快晴の伊那谷を走る。車窓には薄が揺れている。







鋸岳、甲斐駒、仙丈、白嶺三山、塩見荒川聖光までのパノラマを堪能する。3,000超えのピークいくつかに冠雪も。






 一方の木曽山脈、宝剣のあたりは大変なことになっていた。





空木も。




恵那の長いトンネルを抜けると、中津川。御嶽山の噴煙は東側に流れていた。





見たことの無い風景。一瞬一瞬がうつくしい。








ハイウエイオアシスに観覧車があった。娘の小豆が希望するので、しばし空に舞う。





名古屋港を走る。埠頭には鋼鉄のキリンたちが佇む。




あああ。見知らぬまちの見知らぬ空。

やがて伊勢路に入り、宿泊地に到着。チェックインを済ませてから散歩に出る。




これを見たかったのだ。たまらん。




こういうのも、たまらん。




ううううう、たまらん。










港には灯台があった。たまらん。




焼け落ちる空に、嗚呼旅情。



松坂牛とやらのカルビを炙って腹をくちくし、宿に戻る。朝に眺めた南アルプスの山々を思い出しながら、ちびり、ちびり。ぐびり。






翌朝、少し移動して所用を済ませる。昼食に松坂牛とやらのしゃぶしゃぶを堪能し、ふたたび高速道路へ。往路を戻る格好で、木曽川の橋梁から北をぱちり。この川の最初のひと滴は、信州の鉢盛山から流れ出る。その山頂は、僕の棲むまつもとのひと区画でもあるのだ。川の、雨粒の長い旅にまた感動。





おいキリン、何時かまた逢おう。








往路で観覧車に乗った場所に、帰路も立ち寄る。まだ幼い娘が所望したのは、メリーゴーランド。おまえは何を見、何を感じ、どんな糧を得た?













三河から美濃に入る頃に、また落日を見る。






























カーブの続く中央道から長野道に入り、松本インターを出た。脳内にはあの歌が流れる。ヘッドライト、テールライト、旅はまだ終わらない。



旅はまだ終わらない。僕はこの二日間に伊勢路を通り過ぎたたけだが、旅から帰っても旅は続く。いまこの瞬間にも、川が流れるように、風が流れるように、時が移ろうように、旅を続けている。