2015年6月13日土曜日

ジュラ紀のメランジュの上で

僕はジュラ紀のメランジュの上を歩いていた。





メランジュというのはお菓子を作る時のメレンゲと同じで、要するにぐちゃぐちゃに混ぜられた物体のことだ。ジュラ紀のメランジュって何だか変な言葉だけれど、僕の足元にあるのは間違いなくジュラ紀のメランジュなのだから仕方が無い。南南西の方から音も気配も無く忍び寄ってくる海洋プレートが、それこそ何億年、何千万年という時間をかけて僕の足元の下に潜り込んでくる。潜り込むところには大きな海溝があって、それは今でもこの列島の東に、ヒマラヤを逆さに沈めてしまえる規模を有する。

海溝に向って、陸からは砂が流れ込む。砂は海溝に厚く積もりながら陸海両プレートの狭間に押し込まれ、押し固められる。プレートの地下ではもの凄い圧力を受けながら、積もった砂岩に長い年月が流れる。こうして、蝶ヶ岳の稜線に普通に見られる真っ黒な岩石が作られた。ジュラ紀のメランジュは、お菓子づくりのメレンゲとは違って真っ黒なのだ。蝶ヶ岳、島々谷の渓、あるいは上高地横尾辺りの地面を見やると、その石ころも露頭の岩も真っ黒い。





僕は春風がやさしく流れる、蝶ヶ岳の稜線でメランジュの上を歩きながら穂高を眺め槍を望み、常念を仰いでいた。しかも僕がむしゃむしゃしてたのは、稜線のハイマツの抹茶色に溶け込んでしまいそうな草大福。これ以上にしあわせな時間というものは、ちょっと想像がつかない。ヒュッテの辺りから北へ、蝶槍のピークまでをぶらりぶらり、歩く。1億7,000万年前ぐらい前に大陸プレートの遥か地下深くで、砂岩がぐちゃぐちゃに混ぜられている様子を思い浮かべながら。





ヒュッテのまわりに見られる黒い石、黒い岩。これがジュラ紀のメランジュ。




ここに来る人たちは、みんな槍穂の方ばかり眺めている。たしかにそうだ。ここから見る穂高の気高さ、険しさはとてもたまらない。槍の方だって、U字にえぐれた槍沢の氷河地形を観察するには最高の角度だ。でも穂高の岩が造られたのは170万年前、その年齢は蝶ヶ岳の黒いメランジュの百分の一に過ぎない。ましてや数万年前の氷河なんて.... 





まわりの峰々の眺めに圧倒されるのも、蝶ヶ岳の愉しみ。でも足元の黒い石ころに、そこら中に転がっている石ころに、列島誕生のドラマを想うのも蝶ヶ岳の味わい。







この日。2015年の5月16日。芽吹きの眩しい三脵から稜線に向った。








朝日差す常念を樹林越しに望みながら。






まだ五月中旬。針葉樹の巨木の森には、残雪がたっぷり。




蝶沢付近から蝶槍を仰いで登り続ける。









だいぶ高度を上げて来た。




稜線はもうすぐ。




大滝山の上に富士、甲斐駒、北岳、間ノ岳が見えてくる。その右には仙丈ヶ岳も。










稜線にて、常念と蝶槍。そういえば、常念乗越の石は白い。これは有明山花崗岩といって、燕のイルカ岩なんかと同じ岩体。でも常念のてっぺんには古いメランジュが少しだけ残されている。山頂の岩を間近に見てみれば、たしかに黒い。




稜線にみどりのハイマツがきれいだ。下界の安曇野からも緑がまぶしいぐらい。




これはメランジュに混じるチャートのブロックかな。南の海のプランクトンの死骸。






このとき僕が立っていた場所は、ユーラシアプレートのほぼ末端。眼下の安曇野がプレート境界で、接する北アメリカプレートの我が家まで、帰るのだ。




三脵近くまで降りてくるとニリンソウが迎えてくれた。




こんなふしぎな花も、路傍に佇んでいた。




三脵にて。崩沢尾根の末端に兆す、夏。




山の神さま、ありがとうございました。



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