2015年5月30日土曜日

こっそり、春の常念岳へ。





ここにまだ書き残していなかった、日帰りの山遊び。

過ぎし卯月のおしまいのころ、安曇野側の林道が開かれるタイミングに合わせて常念岳へ。



堀金岩原辺りから稜線方向を眺めると、モルゲンロート。ふふ、あそこまで行くんだ。



ヒエ平にカブを停めて、常念岳東尾根末端を仰ぐと、徐々に夜が開け放たれようとしている。




入山の届けを出して一の沢口をスタート。良い一日となりますように。




横通岳、烏帽子、基準点大滝。大滝の山頂2467mはいまだ、踏めず。





この時期の笠原はデブリで埋め尽くされている。





それでもシュルンドが開いて、春山! って気分になれる。





最終水場へ行く、横通岳からの沢を右に分けて、残雪期ルートの雪渓の詰めにかかる。





おっさん遅過ぎワロタwww あくしろ!


僕は、調教を受けていた。





はぁはぁのぜぇぜぇ。





稜線間近。調教はなお厳しさを増していた。





お槍様、助けてくださいっ!







田渕行男さんが絶賛した雪型、「中岳の舞姫」。舞姫、助けてくださいっ!





稜線の雪はまだ四月だというのに、こんなに。











賑やかな山頂で、翌週に出掛ける穂高の峰々を拝む。






山の神さま、次回はもう少しお手柔らかにお願いいたします。







2015年5月16日土曜日

角煮の午後

魚売り場を覗いたら、キハダマグロのあらを見つけた。


脳裏にねこの顔が浮かんだが、あのクソねこに喰わせるぐらいなら俺が喰ってやろうとひとパックを求める。本当にしょうがないクソねこで、カリカリを与えるだけでも贅沢なぐらいなのだ。クソねこの話はまたにして....






下ごしらえをして、炊く。砂糖、酒、みりん。生姜は入れない。火を通してから白出汁、醤油。 
  
 

 
 
澄んだ煮汁にひたる角煮。いいかおり。 
  
 
 
 
庭の山椒の芽を生醤油に漬けたものをあしらった。 
  
うわ。魔界が扉を開ける、うまさ。 
 
 
 
  
 
我が冷蔵庫には、いや、正確に書くと僕専用の冷蔵庫には、いろいろと邪悪なものが秘匿されている。


 
これは昨年夏に収穫された紫蘇の実を、青くて柔らかいうちに醤油漬けしたもの。実も、漬け汁も美味い。 
  
 

 
 
おっと、まだあるぞ。

これも邪悪な保存食。数日前、新生姜を梅酢に漬け込んだものだ。穀物酢ではない、梅酢である。2011年に仕込んだ白加賀の梅干づくりで得られた副産物、それがこうして活かされている。

この紅生姜、僕の愉しみのひとつ、豚骨ラーメンの味わいのために用意されたものだが少し分けてもらおう。  
 

 
 
たった170円で買い求めたキハダマグロのあらが炊かれて盛られて、ささやかな添え物が至福をもたらしてくれた。  
 
 
 
 
明日は近場で雪遊び。消え去る雪との別れを、せいぜい惜しんでくるとしよう。おやすみなさい。  
 
 
 
                                                                                       

2015年5月11日月曜日

純白の上に舞い降りし 邪悪なるもの

僕はまた今年も、この春も、あの邪悪極まりないひと品を求めてしまう。


移ろう時の狭間のような、爛漫の春のいまだけ。あの邪悪な木の芽が、庭の片隅に芽吹く。




邪悪なる山椒の葉は、先月半ばに芽吹き始めたと思えば、若草みどりのわかばをわんさと茂らせている。ふふふ、採り頃むしり頃。




なるべく色合いの淡い、やわらかく邪悪な葉がついた枝を選んで摘んでいく。指先から山椒の香りが立ち昇り、自分がアゲハチョウの幼虫になったような気分。笊一杯になるまでに二時間ほど掛かる。これはまだ序の口で、この先にはさらにずく(根気、やる気)を必要とする作業が待っている。

枝から、邪悪な葉を分離させるのだ。これが面倒くさい。信州の言葉で言えば、えらい。



さらに二時間ほどを経て、葉っぱだけが笊に盛られている。途中で退屈な朝飯を挟んだほど、えらかった。





量って見ると二百グラムの邪悪。これを洗って水を切り、目方一割程度の塩をまぶす。まぶして小一時間、置いておく。









少ししんなりした葉っぱを、ボウルの中でまとめるように揉み、今度はすこし強く揉む。




葉っぱの汁がにじみ出て来るので、これを絞る。かなりきつめに絞る。




汁は、灰汁(あく)である。レシピサイトでは「湯がいて水に晒す」とあるが、これをやると山椒の味も香りも抜かれて流されてしまう。まさに味気ない。




さて、塩で揉んだ分だけ塩っぱくなっている。この塩気と残った灰汁を酒で洗い流そう。一合ほど大雪渓を借りる。




こんな作業の合間にも、細枝や硬い軸を見つけては取り除き....。




再び絞って下ごしらえを終える。

もう半日過ぎている。これほどまでに手がかかるから、邪悪な山椒の葉の佃煮は、やたらに高い。手作りしたものは少量しか得られないから、他人にくれてやることも出来ない。だからお裾分けで頂くことは、有り得ない。




さて、炊く。

ここまでが大変だったのだが、この先も気を抜けない。行平鍋に酒と醤油、砂糖を煮立てておく。葉山椒を投じる。強火で火を通し、やがて中火で煮汁を含ませていく。




僕は白出汁を加える。これで味わいがぐっと深まる。




このさき、強火では炊かない。やわらかくなるまで時間をかけて炊く。小一時間後、つまんでみて邪悪な味わいだったら、煮汁を残したぐらいで完成とする。煮汁を完全に飛ばして、というのが日保ちさせるこつというが、僕には小さな瓶詰めふたつ分があるだけ。ひとつは湯煎で殺菌して夏頃まで隠しておくが、もうひとつは一週間も残らないだろう。だから煮汁も愉しみたいのだ。
 


翌、朝ご飯。この日は里山を歩いてこようと、五時過ぎにご飯とする。ま白き、北アルプスの稜線に降る雪のような、炊きたてのめしを盛る。以前の僕は、飯を盛る時はジャンダルムのように! を作法としていた。しかしいまは、もうやらない。軽く、そっと盛る。





ここへ、邪悪な葉山椒の佃煮が舞い降りる。

どこが邪悪なのかって?
こいつは、他の一切のおかずや汁物の接近を拒むのだ。

ほかにも用意のあった焼きたらこ、ねぎを刻み込んだ納豆、前夜の煮魚の残り、ひじきの煮物、きんぴら、あるいは野沢菜の漬物、これらをことごとく退け、白ご飯と葉山椒だけの一対一の勝負を要求してくる。予定調和的に構成されていた、さまざまな味わいのおかずたちが、駆逐されてしまうのだ。


そして常に、いつなる時も、白ご飯の完全なる敗北が宣言される。












2015年5月6日水曜日

北穂高岳

2015年5月3日から5日にかけて、穂高の氷河圏谷・涸沢に過ごした。

最終日の5日は快晴に恵まれ、残雪の北穂高岳へハイクアップ。山頂からは穂高の岩の伽藍、槍へと続く稜線、そして北アルプスのほとんどの山の眺めを満喫。






2015年5月3日午前4時、山靴に足を入れまだ明けやらぬ街を歩き松本駅を目指す。女鳥羽川の水面に、ようやく明るみ始めた美ヶ原の向こうの空。


松本駅にてくわ先生の迎えを待ち、やがて滑り込んできたドイツ車の助手席にケツを据える。一路、沢渡へ向けて走りながら、再会を喜びあう。うむ、山の仲間とはいいものだ。



沢渡からはタクシーで上高地入り。晴れた空の下、吊尾根が迎えてくれた。




横尾の大橋を渡って、





春の横尾谷に屏風岩を眺めて。







横尾本谷との出会いからは、南岳の獅子鼻岩が見えてきた。

今から数年前の夏、槍から南岳への稜線歩きをした時の記憶が甦る。そのとき、あの獅子鼻岩の上に、魂の欠片(かけら)を残してきたのだ。



獅子鼻岩、かっちょえええええええ。 



横尾本谷を右に分け、涸沢側の雪渓を登って行く。



38リットルにテン泊2泊分の装備、毎回ながら馬鹿じゃないかと、わかってる。でもザックを大きくしてしまうと、酒やら肉やら、暖かいマットやら、増えて増えて担げなくなるのだ。だから大きな容量が必要な山旅には行かない、と決めている。その結果、見苦しい外付けになる。




つまりですね。穂高の谷底でも、行動食は大福ですよ。 







カールの底が近づいてくる。のそのそ、登って行く。


受付を済ませて整地を少し、エスパースを張る。ここが、この圏谷での我が家。

竹ペグ埋めたりする作業を残しているのだが、もう喉が渇いて乾いて、死にそうなのだ。そこでヒュッテに移動、くわ先生と酌み交わしながら山を、人生を語り合う。うは、先生大人やなあ。








一夜が明けて、5月4日。朝からガスが濃い。ときおりフライが雨に叩かれる。気温も高く、雪はぐだぐだのぐずぐず。よって本日の行動は断念。



することもなく朝から酒を舐めていると、ヘリの爆音が聞こえてきた。
こんな悪天候で? 
どこかで事故?


すると鮮やかなアクロバット飛行で機体が圏谷の底に現れ、ヒュッテにモッコを降ろしていった。






昼近くなって、後発のメンバーたちも顔を揃える。信じられないのは、先に書いた獅子鼻岩の上に魂を置いてきた、その時のひとりが顔を見せに来てくれたこと。一緒に穂高に登るためではなく、ただ、金沢から会いに来てくれて、そのまま雨の中を帰っていった。信じられない。僕は友のためにそこまで出来るだろうか。



雨の中、宴。
もう何回目になるか数えてもいないけれど、春の山の中で、年に一度だけの宴。語らいに熱が入り、僕は写真に残すことも出来なかった。師匠、部長、そしてお嬢、ありがとうございました。


その後は酷い雨だった。テントをゆらす風も、強過ぎた。ベンチレーションが風でテント内部に押し込まれ、そこから雨が吹き込んでくる。シュラフも何もかも、ずぶ濡れだった。



夜明けを迎える。5月5日、雨が去って、穂高は晴れた。



宴会班の見送りを背に、北穂沢へと向う。



次第に斜度を増してくる雪面の登り。ツメの方では雪壁にも感じられた。


この三人は、かつて獅子鼻岩に魂を置いて来てしまった男たちだ。昨日、雨の中を帰っていった男も、同じだ。我々は置いて来た魂を取りに戻る必要があった。

僕たちは北アルプスのそこかしこに、魂の欠片を置いてくる。これを思い出したり、取りに戻ったり、あるいは眺めたり、そのために山に来なくてはならない。



コルを抜けて岩場を少し這い上がって、北穂高岳の北峰てっぺんに立つ。



槍を眺める。
キレットのすぐ向こうに、置き忘れた魂の欠片がある。三人でそのことを確かめる。


後立山にも白馬にも、同じようにかけらを残してある。山に来る理由は、目的と言ってもいい、山に来るたびに増えて積み重なっていく。

だから、僕はこうしてこの日も、山に居た。山に来ることが出来た。
























北穂の小屋で珈琲をいただいて、テン場の方を覗き込んで泡を喰う。 

宴会班が、撤収を始めているのだ。




魂の欠片を置き忘れるとか、そんな感傷的な話じゃない。

僕らは置き去りにされようとしていたのだ。
あの急な斜面をすっ飛ばして下る訳にもいかない、コルからはごそごそ慎重に下り、斜度が緩んでからは尻セードまじりでテン場に飛んで帰る。


先に下山する宴会班を見送り、撤収。何かを食べる時間も無く、氷河圏谷・涸沢の地を後にする。陽射しに緩み始めた雪渓をさくさく、降りていく。   



穂高よ、さらば! また来る日まで。



陽光が眩しい。




横尾本谷の向こうに、獅子鼻岩をもう一度。





この山旅で酌み交わした諸賢、北穂ピークの槍隊放題メンバー、そして山の神さま。こころより、魂より、ありがとうございました。