2016年5月28日土曜日
まろやかな午後
僕は朝食をおろそかにしない。6時過ぎ、300グラムのスパゲッティを茹でて盛る。朝飯はこれぐらいでなくてはいけない。
庭の山椒の若樹に、ガチャピンが居た。その向こうに、まだ小さなムックも。この樹はいつの間にか生えてきた樹で、実を採るように考えていない。だからガチャピンたちの好きなようにさせてあげよう。
昼が来た。腹が空かない。困ったと呟いて、朝飯の量が多すぎたことに気づく。
こちらが実を採る樹。その味わいのことは、昨年ここに書いた。まだ腹が空かない。
物憂い春の午後。昼飯が入らないじゃないか。散歩に出かけよう。アイポンだけをポケットに、財布も持たずに靴を履く。
塩倉池のほとりに立つ。池の向こうの丘の中腹に、もの凄くきれいな枝垂桜の樹がある。春の頃の様子は、一昨年ここに書いた。
これを見に来た。昨年の様子と比べて、どんな育ち具合だろう。
もはや風景の一部である。
これも。植物はクルマを栄養源にしているかのよう。
これも。
名も知らぬ花々に語りかける。返事などない。
これは観賞用に植えた、拙宅の庭の蕎麦の花。昨年実った蕎麦粒がこぼれて冬を越し、いつの間にか芽生え、咲いたのだ。
桑の樹も実を着けている。アップした写真は自粛する。気持ち悪いものだと、昨年も同じ事を書いた。
そこら中に大群落を作っている、豆科と思われる花。田園の一角に染料をぶちまけたかのよう。
春風に乗って良い匂いが流れて来るのは、この白い野薔薇であったか。
麦畑はまだ青々としており、「麦秋」の文字がふさわしい季節は、当地ではもう少し先のようだ。
梅の実を見かけた。今年も梅仕事の日々が近づいてきたのだ。うむむ。
いつ来ても良い丘である。松本市街地を見下ろしている。遠く鉢伏山。
発砲注意、とな。
丘を下って、拙宅近くまで戻ってきた。常念さんのてっぺんが見えている。まろやかな午後のひとときを経て、ようやく、小腹が空いてきた。
家までもうすぐ。帰ったら何か肴をこしらえて飲み始めよう。
2016年5月23日月曜日
ああ女王様!
僕はエム気質がとても強いので、女王様が大好きである。
鞭と蝋燭を携えてその御前に跪き、お仕置きをお願いするのである。北アの女王様が居られると聞いて真冬の燕岳に赴き、あるいは南アの女王様にお目にかかるべく正月の仙丈ヶ岳地蔵尾根を這い登り、どちらもテントのポールが折れてしまったという烈風体験、併せて極限の寒さ、地獄のラッセル、顔面の凍傷、かつて、そんなありがたい調教をいただいてきた。
その後、もう真冬の稜線に身を置くことはしない程度の分別をわきまえ、その分、女王様に逢えなくなってしまった寂しさが募っていた春の日、山菜の女王様、あるいは山の女神さまと称されるコシアブラの若芽が手に入った。げひげひげひ、これは美味いのだ。
鍋にたっぷりの湯を沸かし、大さじ一杯ぐらいの塩を投じ、さっと湯がく。沸騰状態で2分。色鮮やかに、春のみどりがが湯に映える。
湯を棄てて流水を。このまま数分。
固く絞る。水気を切って。
つまみ食いすると、うわわわわと声が出る。
今しか味わえない春の味わい、香りが口腔を満たし、官能的なまでの悦びに震える。
醤油にしようか、ごま和え、味噌和え、いろいろと悩んだが、こぶ茶で和えることにした。少し伸びた芽は刻んでかつ節のせて。
コシアブラのこぶ茶和え、かつ節仕立て、両方を試してみる。いわしの梅酢煮に自家製新生姜の梅酢漬け、木綿豆腐と椎茸の煮物、白ご飯。おっと、みそ汁を忘れた。
いやあ、春が満ちて行きますなあ。
2016年5月15日日曜日
この緑の星の突起のひとつに
日帰りで常念に、と予定していたが、前夜のウイスキーが過ぎたのか寝坊した。しかし私はめげること無く、装備から雪道具を抜いて替わりに珈琲道具を詰め、山靴をハンワグの【スーパーフリクション】から【クラックセイフティー】にスイッチ。さらに二度寝してゆっくりと朝飯を喰らい、家を出た。
これは庭の一輪草。先日、楢の樹の下にそっと咲いているのを見つけた。ということは、近所の戸谷峰の二輪草も見頃になっているということだ。出かけてみよう。
カブで25分ほど走り、国道254の三才山ドライブイン付近の空き地に停める。【クラックセイフティー】のひもを締め直し、ポールを伸ばして歩き始める。
山道に入ってすぐ、足下に【オトシブミ】がたくさん。これはオトシブミの母さんが、次の世代へ命を託す際に若葉のカプセルをこしらえ、その中に産卵する。孵化した幼虫は若葉のカプセルを食糧として育ち、やがて成虫となる。
山の藤が鮮やかである。この山、戸谷峰がフォッサマグナの海の底だった頃、海底火山の活動の名残りがこうした岩塊斜面となって残っている。私は勝手に、これを「岩畑」と呼んでいる。だって面白いじゃないか、畑の岩が、夜の間にこっそり育って大きくなる、そんな想像を巡らしたまえ。
緑したたる、と書くほかない。芽吹きの季節の、美しすぎる一瞬だ。
ジグザグと高度を稼いでくると、眼下に国道を眺める。あの先に三才山トンネルがある。
この山の森は、落葉広葉樹が多い。いにしえの人々は、この戸谷峰に薪炭を求めて分け入り、山中に炭を焼いた。その痕跡が、崩れた炭焼き釜の石組みや、地面を黒く染める炭の粉となって残されている。
人々は、この山を、生きて行くための糧として利用した。欅や楢、櫟の樹を伐って炭にした。しかし今でもこの山は広葉樹の森に覆われ、秋にはたくさんのどんぐりが散らばる。伐り尽くして禿げ山にするようなことはせず、伐った樹はひこばえを伸ばして株分かれしたような巨樹になる。どんぐりは動物たちの胃袋も満たした。私がここで見た哺乳類は、ツキノワグマ、ニホンカモシカ、ニホンジカ、ニホンザル、シマリス、ヒトと実に多様である。
滑りやすい土の斜面を少し登ると、小尾根に出る。
芽吹き。
発芽。
どちらも、みどりが、いのちが新しい局面を迎える美しい瞬間。
少し岩が出てくる。ポールが邪魔になる。
高度が上がると、芽吹きの様子が変わってくる。国道のすぐ上では濃密な、爛漫の春が満ちていた。これが、数百メートル登ってくると、まだ淡い、生まれたばかりの春になる。
そう、つい先頃目覚めたばかりの森。
春は、この戸谷峰の山肌を、山麓から駆け上がってくる。そのまっただ中を登って来ることで、私は濃い春から淡い春の、継ぎ目の無いグラデーションに浸ることが出来た。移ろう季節の狭間に、いのちの働きの、形容しがたい感触を五感で受け止めることができた。
私が「南稜の頭」と呼んでいる1,469ピークが同じ高さに見えてきた。
三兆八回。ちがう、山頂は近い。
稜線に乗る。ここから右へ、ピークはすぐそこ。
賑やかな話し声が聞こえてきた。ここへは二十回ぐらい来ているが、誰かと会うのは初めてである。三角点にご挨拶。
sanpo師匠のアルコールストーブを携えてきた。湯を沸かし、アロマへの期待に鼻孔を膨らませ、さて眺めを愉しもう。しかし、春霞に遮られ、楽しみにしていた槍穂の連なりは見えなかった。
それでも山の神さまへのお供えは、ちゃんと大福。他人の目があるので正式な儀式は叶わなかったが、神さまはお許しくだされよう。
お供えが済むと、むしゃむしゃむしゃむしゃ、うめえええ。
山頂直下の二輪草。踏まないように歩くことで精一杯。
可憐な姿ではある。
おい、バイケイソウ!
私が最も好きな場所のひとつに、最も好ましい時期に来ることが出来た。山の神さまのお導きである。
そして、ホオの樹のアトラス。
今年も無事に芽吹きを迎えていた。
みどり、緑。
途中、とても気持ちの良い親子連れとご一緒に歩き、シマリスを眺めたり、山の話をかわしたり。
標高1,000mの野間沢橋に降り立つ。ここは国道254。
帰り道に必ず寄る、御射神社さんの秋宮。老杉の茂る境内に、私の打つ柏手が響いた。
女鳥羽川と戸谷峰。
山の神さま、今日もありがとうございました。
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