2014年6月18日水曜日

まつもと路地裏散歩

観光写真にはなり得ない、信州まつもとの路地裏の写真を貼っていく。一部にふだんの街歩きでは届かないディープな区画、あるいは既に失われてしまった風景を含んでいる。



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安原町の小路

ここは北国街道西往還(善光寺街道)、松本宿のはずれ、安原町。安原町を過ぎればとなり元原町には木戸番所が設けられ、これより先、御城下を離れる。街道は北へ善光寺へと続く。

その安原町の一角に趣きのある小路があった。過去形で書くのは、下の写真左側の古い建物が、撤去され更地になっていたためだ。
 
  この写真は、小路を善光寺街道からひょい、と北側へ覗き込んだ格好で撮っている。いまから数年前の散歩の途中。
 

 小路の奥、北から振り返るとこんな風景が望まれた。
この黒い建物は、画廊なのかカフェなのか、そんなかたちでも使われていたようだが、中に入る機会を得られないまま、取り壊されてしまった。
 

 壁面に、陶器製の煙突が継がれながら屋根へと伸びていた。限りなくうつくしい、職人の手に依る造形。これが本来の「用の美」すなわち工芸だろう。


 小路の南端。つまり街道の往還上から小路を眺めている。建物の玄関に当たる場所に、手製の看板。つまり、持ち主はこの建物が歴史ある街道を見守って来たこと、その歴史的価値を理解しておられるのだ。そしてこれからもその価値を残し活かすべく、考えておられたのではないかと拝察する。


いかなる事情があったかは知る由もないが、昨年、この古い建物が取り壊されてしまったことを惜しむのは僕だけではないだろう。



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浅間温泉界隈

浅間温泉に棲み暮らしていた時期があり、なんとそのマンションの大浴場には源泉掛け流しのお湯がどぼどぼと注がれ続けているという有様。住人は20世帯ぐらいで、混む時間帯でも窮屈なことはない。湯質も最高で僕は日に3回は入浴していた。あのまま住み続けていたら皮膚の角質という角質が失われてしまって、茹で玉子のような姿になっていたことだろう。


そのころ、長男坊を載せたベビーカーを押しながら、温泉街周辺を隈無く歩き回った。もう10年前のことだ。

この崩れかけた土蔵は僕が勝手に「黒澤蔵」と名付けていた。理由は、黒澤映画で、袴も擦り切れて垢染みた浪人ものが抜刀しながら飛び出してくる場面に使えそうだ、と思ったからだ。それも雷鳴を伴った夕立か、あるいは音もなく降りしきる雪の中。そうタイプして、僕は黒澤映画を一本も見ていないことに思い当たる。すいません。

そうそう、写真右奥のあたりに「男装の麗人」で知られる川島芳子こと愛新覺羅顯玗(あいしんかくら けんう)が住み暮らした家があった。



  公衆浴場、港の湯。温泉街のバス停前にあって、お湯が熱いことで知られるパブリック・バスだ。ここにも何度と浸からせていただいたが世界遺産に推薦したくなるぐらい素晴らしいお湯だ。観光の方も、是非に。



 その裏手。今は(当時は)何に使われているのかも判らない建物の玄関先、頭上のランプと装飾が美しい。勝手な想像だが、温泉街ということで芸者さんたちの待機所みたいな場所だったのだろうか。置屋さんとかそう言う呼び方かもしれないが、粋の世界のことは昔の小説で読んだ程度にしかわからない。



  温泉街の細い坂道。右側、手すりのように見えるのは源泉の給湯パイプだ。源泉近くに分湯場と書かれた小屋があって、そこから個人宅や小さな共同浴場に引かれているようだ。パイプがむき出しで良いのか、保温の皮膜がなくて心配していたのだけど、こうやって冷ますぐらいが丁度良いのが浅間温泉の源泉なのだろうか。それとももう使われてないのかもしれない。



   御射神社さんという古いお宮がある。ここの火祭りのことはまた機会を改めて書こうと思っているけれど、お宮の参道脇の小径がいい雰囲気。右側の石垣に丸い花崗岩が使われている。北アルプスから流れ出る水の流れが、丸い石を運んでくる。こういうのはあづみ野豊科辺りで地面を掘ると無尽蔵に出てくる。これを塀の基礎の石垣にするのは、安曇野と松本でよく見られる風景だ。


  浅間温泉にも蔵づくりは多い。上は目之湯さんという湯宿の蔵。この小路、春は桜、芽吹き、夏は葉陰、秋の彩り、そして冬のたたずまいと四季を通じてうつくしい場所だ。



  これは浅間温泉でもいちばん山寄りの民家の蔵。写ってる車道を、初夏のイベント「ツールド美ヶ原」参戦のサイクリストたちが呪いと悪態をつきながら漕ぎ上がる。待ち受けているのはカブでも1速で登る急坂だ。おっと、サイクリストたちが呪いを叫ぶイベントも、もう来週か。


 
温泉街の古い建物の前に放置されていた金属製の部品。パイプとかバルブとかそう言う種類のもののようだ。さすが温泉街。


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今町あたり

御城下に戻ろう。松本城の入り口に当たる千歳橋を渡って左へ向うと、六九と呼ばれる通りに入る。この通りから今町に出るあたりに、山屋さんという屋号の古い建物が建つ。これがいい味出してるれんが造りの建築で、観光でのお散歩でご記憶の方もあるのではないだろうか。いく棟かあって、煙草屋さん、飴屋さんと幅広い商いをなさっておいでのようだ。
  このサイン、ペイントではなくタイルなのだ。モザイク壁画ということ。
 

  看板にはコンクリも、とある。 




  東側に移動すると、いい雰囲気の珈琲屋があったりする。その先には古い蔵づくり。



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長沢川

御城下の南寄りに鎮座まします天神様(深志神社さん)の傍らを清らかな小川が流れている。長沢川といって、東の方、山辺というところから流れ出ている。あるとき、自転車に乗って水源を探しに出かけた。湧き水が多い土地だからあちこちから細い流れを集めているのだけれど、いちばんメインらしいのを追いかけて、東へ東へと遡っていった。ついに、入山辺といって薄川の谷に入る山峡の入り口で、薄川から分水されている用水を見つけた。これが流れ流れて途中湧水を集め、最後は松本駅の構内をくぐって田川に注いでいるようだ。

 天神様の境内の傍らを流れ過ぎたあたり。


 もうちょっと下流で。この先の保育園の園舎の前でもせせらぎが聞こえていた。まだ小さかった豆ども(こどもたち)を連れて、何度、この流れを渡ったことだろう。



 むかしはここが国道19号だった。長沢川の橋は欄干が残るのみ。この橋には逸話が残されていて、戦国の頃、出陣する幼い兄弟を見送る母親が、こらえきれず引き止めようと袖を掴んだ、云々。このため、ふるくは袖留橋と呼ばれていた。



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縄手界隈

縄手、というのは縄のように細い土地、という由来らしい。松本城の南面の守りを担った女鳥羽川という川の流れに面した細い土地で、明治になって四柱神社が建てられたことから、参詣の客を呼び込み門前町のような賑わいを見せるようになった。
 
 その縄手通からもう一本横に逸れた縄手横町。


 この水路には山女もニジマスも住む。水源は松本城の総堀の水にくわえ、松本市役所付近の井戸の水が流れ込んでいるようだ。さらにいくつかの湧水も注いでいる。


  縄手通は、いわば露天商の人たちが商売を行う場所だったわけで、いまでこそ普通の店舗が建ち並ぶけれど、お祭りのとき、暮れの歳の市、そんな時には「オリジナル」なご本職の方々が商いをしている。写真のいなせな金魚屋さん、うちの豆どもに金魚の掬い方のご教授をしている最中。このときの金魚は数年を生きて、いまでは庭の土になっているけれど、ながいこと僕を癒してくれた。




  縄手通で忘れられない、ひとりのおじちゃんがいる。すこし前に亡くなったのだけれど、保育園の帰りなど、幼い豆ふたりを連れた僕を見ると声を掛けてくれて、商売ものの菓子を豆たちにくれたものだ。 うちでは「寅さん」と呼んでいたのだが、映画の寅さんがあと20年も経てば、というまさしくそんな雰囲気だった。身寄りが無かったらしく、だんだんと人々の記憶からも薄れていくのだろう。僕自身、縄手通を通ることはめったにないのだが、豆どもに小さな優しさを分けてくれた寅さんのことは、覚えておこうと思っている。





なんだか自分のことばかり書いてしまって、申し訳ない。風景は個人の経験とか記憶の中に息づいているものだなあと、実感。



2 件のコメント:

  1. さかしたの心擽る日記でございました。
    街と音楽と香りは記憶を呼び覚まし、思い出は街と音楽と香りに置いてあります。

    あたしの浅間温泉の思い出は社員旅行で、なんかあまり思い出しちゃいけないような気がしております。
    呑んで失態晒したとかではなくて。
    ドーハの悲劇も浅間温泉の思い出であります。

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  2. 浅間温泉に旅行でいらっしゃいましたか。
    ドーハのあの年ですと、僕はまだ東京住みで信州移住前ですな。

    >思い出は街と音楽と香りに置いて
    ふむふむ。音楽と香りですか。深いテーマですよ。
    香り、音の記憶、色彩、いろんなパターンがあるようですね。
    むかし読んだイタリアの作家の作品(失念!)では、温度。
    旅先のホテルのシャワーの温度とか、ベッドのシーツのひんやりとか
    そういう皮膚感覚から記憶や経験を刻んで思い出してどうたらこうたら。

    僕の想い出は、圧倒的に「味」に刻まれます。これ不思議なんですよ。
    たとえば多くの人が「BeatlesのLet it beの、あのフレーズ」って会話から
    自然と脳内放送できるじゃないですか。リズムとメロディで。
    おいら味覚でこれができるんですわ。麹町の角屋って蕎麦屋のそば湯の味、とか。
    これ、気持ち悪いですよ。味覚を分類して「パターン化する」んじゃなくて
    塩基の配列みたいに「正確に記憶に留める」わけですわ。ああ気持ち悪い。気持ち悪い。

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