この桜のことを知ったのはちょうど一年前にたまたまのことで、ある小さな調べものがきっかけだった。
調べもののことは後述するけれど、僕の住まいから1キロほど北の集落の、大きな池に面した丘の上にこのしだれ桜の樹がある。4月18日のこと、昨年より数日遅く訪れたものだから、枝先にわずかな萌葱色が出ていた。
塩倉山 海福寺は、信濃百番札所の二十四番、松本三十三番札所の二十六番に数えられる古刹。案内板によると、十二世紀の初めの創建でご本尊は『聖観世音菩薩立像』。上の写真は2014年4月5日撮影。
凄いのひとこと。もう形容詞が出てこない。
昨年同様、鳥肌が立つほど凄みのある風景だった。梶井基次郎がかつて、桜の樹の下には.... と書いたのは本当のことかもしれない。いや、別に墓地になってるからじゃなくて。
ため息。
またため息。
お堂の脇には、馬頭観音さん?
この日、観音堂で手を合わせたあと、お堂の裏手に回ってみた。
立派な道祖神と念仏供養塔。
ここから南を眺めると....
お堂としだれ桜と、遠く鉢伏山。鉢伏山の右が高ボッチで、桜の樹の影には南アルプスの聖岳あたりが顔を出している。
塩倉池と、東側の丘。のどかだなあ。
この東側の丘には、とても素敵な小屋が立つ。ほら。
丘の上を跳ね回る小豆、もう9歳。
さきに書きかけた調べものというのは、こういうことだ。
信濃の国の松本辺りは、海から遠い。それでも当地の人々も、生存のために塩を必要としていた。縄文時代後期末、いまから4,000年ぐらい前には海水を煮詰めて塩を作る土器製塩法が確立されている。やがて各地でたくさん作られるようになった海の塩が、この遠い山国にも運ばれてきたのだろう。こうした塩運搬のルートが「塩の道」として定着し、街道として使われてきた。そのひとつ、上越は糸魚川から信濃の塩尻まで至るルートが、このしだれ桜の立つ集落を通っていた。
『塩倉山 海福寺』
この山号が表すものは、文字通り、海の幸をありがたく受け入れて大切にしまう、古い時代の人々の精神性そのものなのだと思えた。
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