2016年3月6日日曜日

池が消える

池は、野球のスタジアムかサッカーコートがすっぽり入る大きさで、水鳥が呑気に浮かんでいるだけの退屈で美しい池だった。

松本の市街地の北のはずれに近くて、池よりもっと北に行くと果樹園と田畑ばかりになってしまう辺りだ。たまたま僕が棲みついた場所にも近く、朝夕、池の畔を通るたびに退屈で美しい水面を眺めていた。




そんな市街地の片隅に美ヶ原と戸谷峰の山影を写していた池は、2015年の春頃から水を抜かれ、夏の終わり頃からはたくさんのダンプが土砂を運び込み、2016年の春を迎えるいまでは宅地分譲の看板が立てられている。

つまり、大きな池が消えて新しい家々が出来るというだけの話だ。




 ▲2011年の初夏 。左奥に見えているのが戸谷峰1629m



僕は、世の中で起きている変化のことを、あまり書かない。書いても、それは巡る季節と移ろう時の欠片を切り取っているに過ぎない。風景が変わる、ということを、いま初めて書こうとしている。



この池の最初の変化は、2013年の秋に始まった。池の一部、半分干上がっていた浅い所を埋め立てて、施設が建てられたのだ。それでも池の面積の多くは残され、山影を美しく映し続けていた。





 ▲2015年4月

2015年の春、池の水が抜かれた。日ごと水位が下がっていく様子には誰もが関心を示し、池が池でなくなっていく様子を眺めている人々の姿がよく見られた。



 ▲2015年9月 

水が抜かれ、春から夏にかけて測量などが行われていた。秋になると、市道に新しい橋を架けるぐらいものすごい数のダンプがやって来て、池をどんどん埋めていった。毎朝、仕事場に向う道でこのダンプ群とすれ違った。日に日に無関心になるぐらいのダンプの数だった。




  ▲2015年11月。娘は阿部寛氏が好きだという










  ▲2016年1月




 ▲2016年3月

造成工事は終わったようだ。以前は週末でも工事をやっていたのだが、今は静けさを取り戻している。やがてこの土地を見に来る人が出始めて、ぽつぽつと家が建ち始めて、新しい家族の物語が紡がれていくのだろう。工事面積15,663.78平方メートル、57区画の分譲地だそうだ。






なぜこんなことを書いたのだろう。そう考えて、ある出来事に思い当たった。

僕は東京都心のある町に暮らしたことがある。そこで通った小学校は、いつの間にか無くなってしまい、新しい地下鉄駅ができ、しかも高層ビルが建って風景は変わってしまっていた。大人になって訪れたとき、道順もかつての家の所在地も、何も解らなかった。やっと見つけた同級生の家に同じ苗字の表札があったことだけが、そこにかつて暮らしたという記憶が間違いでなかったことを表している。それほどまでに、風景は変わりうるのだ。

上の写真にも写っている僕の娘は、あるいは兄貴は、大人になって「かつて、ここが池だった」ということを思い出せないだろう。僕だって覚えていないかもしれない。





工事前、池の畔には案内板があった。再び掲げられるかどうかは知らないが、案内板の全文をここに残しておく。



新池
この池は、大門沢川と西大門沢川の河岸段丘上の乾燥地にある。江戸時代に農民の願い出により、灌漑用水池として造られた。
大正時代から昭和六十年頃までは鯉も飼われ、蚕種冷蔵用の採氷も行われた。スケートや水泳と、子どもの遊び場でもあった。
深い所は水深五mもあり、水難事故者のための念仏供養塔が南東の土手にある。また、近くに縄文早・前期の狐塚遺跡がある。
城北地区文化財保存会







2 件のコメント:

  1. マスノスケ2016年3月7日 13:04

    師匠、それにしても今回の記事は、なんか切ない記事ですね。

    なんかよくわかる気がします。

    小学生のとき、引っ越しをしたのですが、その新しい越した家の周りは田んぼだらけ。
    水のはいった初夏には、カエルの大合唱。夜はまるで、家が水の上に浮いているように見えました。裏には、木や草が伸び放題の古い墓場があって、そこは小学生だった私の絶好の遊び場でした。

    時はながれ、中学を卒業し、よその土地の学校に行っている間に墓場はこわされ、田んぼは埋め立てられ、いつの間にか市民体育館になりました。

    こうして、土地の様子が変わってしまうと、次第に人の記憶からはもとの風景やその土地に根付いた生活習慣がきえていき、もとの景色を覚えている人がいなくなったじてんで、まるで、あたかも、元の風景は存在しなかったかのように人は暮らしていくのでしょうか?

    なんか切ないですね~

    さて、その切なさは、過ぎてしまえば二度と戻れない時にたいするものなのか、それとも開発によってきえていく風景に対してのものなのか?

    今回の記事、その辺の切なさを口にせずににじみださせる、イマルプ文学を感じたような
    気がしました。

    いい記事でした。有難うございました。

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    1. 兄貴。遅くなって済みません。
      平日忙しくて、Macの前に座れませんでした。

      「卒業証書抱いた....」で始まる松田聖子さんの歌があるじゃないですか。
      まあ、我ら世代的には松田聖子さんですよね。
      で、続く歌詞に「失うときはじめてまぶしかった時を知る」
      ってあるのですが、風景って変わってしまって失ってしまって、
      そこに大切な人、とか絆とか、別な何かを投影してるんでしょうね。
      昨日で、あの大震災からまる5年ですよ。
      僕はTV観ないのですが、たぶんそんな映像がいっぱい流れてたと思います。
      いえ、そうなんですよ、感傷なんです。判ってるんです。誰もが。
      >元の風景は存在しなかった
      結局そうなってしまうんでしょうね。

      僕がくだらないことをじめじめ書き散らしている根本のところ、
      失われていく自分の残り時間の「澱」みたいな何かを残したいんでしょうね。
      ありがとうございます。また明日に向って歩いていけそうです。

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