ここに大きな積乱雲を捉えた写真がある。
2011年7月14日19時過ぎ、北ア表銀座の西岳テン場から写されたものだ。常念岳の向こうに大きな積乱雲が湧き上がっており、満月に近い月が昇ってきている。暑い日だった。僕はテント場で逆光の槍の穂先と北鎌尾根を眺めていた。同時に背中側、つまり東の常念岳の上に18時頃から巨大な存在感を示していたこの雲にも気付いていた。それほど、大きく見えたのだ。
僕ははじめ、この積乱雲は常念岳の真上あたりにあるように思っていた。ここも降るよね? そう思ったほど。しかし違和感が半端じゃない。どんどんスケールが大きくなっていくその様子に不安感さえ覚える。じっさい観察していると、巨大雲の手前にいくつもの積乱雲があることに気付く。
「あ」
その瞬間、僕の中の遠近法の約束事が崩壊し、積乱雲の巨大さを初めて理解した。あれは、常念の上にあるんじゃない。もっともっと、遥か遠くにあるのだ。常念岳の左、常念乗越の向こうにある積乱雲が、普通に稜線から見えるやつだ。蝶ヶ岳側にもふたつ見えてる。常念岳山頂を隠してる雲は、小さなガスの塊だ。巨大積乱雲は、明らかにこいつらより遥か遠くにあることが分かる。
ラスボスを眺めていたことを知らされ、背筋が寒くなる。あの雲はどこにあって、どれくらいに大きいのか? 高さを想像しただけで、普通の積乱雲の数倍はあるぞこれ。その下はどんな様子なのか? うかがい知ることのできない事柄が脳裏をよぎる。槍も北鎌尾根も西岳のテン場も、宵闇の中に沈んでいく。しかし遥か東の巨大積乱雲はいつまでも明るさを残していて、時おり稲妻が走る。音もない電光の閃き、それは不気味ですらあった。
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三年半を経たこの年末、Macのハードディスクを整理していて2011年のこの写真を見つけた。久しぶりに眺めながら、いったいあの雲は、あの巨大積乱雲はどんな豪雨を降らせたのだろう? なんとなく知りたくなった。というのも、僕が現実にあの雲を見た日からしばらくは北アの山中に潜んでいて、直後のニュースに接していないためだ。
ほんとうに何となく、「2011年 7月14日 豪雨」などといったキーワードを検索に使ってみた。なにかローカルニュースとか個人ブログとかに、記録が残されているかもしれない。結果は、決定的なことは得られなかったに等しいが、有り難いことに重要な2つの情報に辿り着く。
個人の方のblogサイトで、ニュースで気象予報士が中継していたという発達した積乱雲、千葉方面から日没方向の西を撮った写真が掲載されている。うむ、こいつに間違いない。僕が表銀座から眺めていたやつを、真反対から捉えた姿だ。
し、しかし、でかい。ズーム具合など不明ながらも、僕が遥か北アルプスの稜線から眺めていた雲が、千葉からこんなに近く感じられるとは....
>>【イラストレーサーのBLOG】2011年7月15日の記事
もうひとつ、風景写真のサイトに3点の写真があった。「東京湾の夕景」という記事に、7月14日に撮影された3枚の写真が掲載されている。夕陽を隠すように湧き上がっている、あのカナトコ状の雲が写っている。
>>【空と海…繋がる世界】
ここまでの整理。2011年7月14日夕刻、18時過ぎから20時頃にかけて、槍ヶ岳の近くにある表銀座西岳から、東の彼方に巨大積乱雲が見えた。東京湾と千葉からも撮影されており、その巨大さを裏付けることができた。
しかし、ふたつのソースは、一定の距離を置いた地点から雲の姿を捉えているのであって、雲の真下の様子は窺えない。もっとも連日のように各地でゲリラ豪雨が発生していた年のこと。ある夕方の激しい雨が、日々の記憶に埋没してしまったとしても不思議ではない。ツイートやblog記事が見つからない理由か。
ぐぬぬぬ。おいらが見た巨大積乱雲は、確かに巨大だった。手前にある積乱雲がミニチュアに見えるほどだ。しかしその実態というか痕跡が、位置も含めてどうも怪しい。
裏付けというか補強する方法を考えていたら、そうだ
山から眺めた連中が居るはず、と気付く。
そこで
【ヤマレコ】で、2011年7月14日に、北アなど稜線の小屋またはテント場に過ごした方たちの記録を漁ってみた。
まず最初のヒットは、当日夕刻、
燕岳・燕山荘に居られたu-sanさんらのパーティー。ありましたよ、有明山の上にあの巨大積乱雲が。真東よりわずかに南に振った方角に、あの雲。間違いない。
次に、14日から15日にかけて
穂高ジャンダルム越えをなさったasekakiさんパーティー。西穂山荘から西の方角、月と一緒にあの雲が写っている。間違い無し。
さらに、
白馬方面を縦走中のteamJA20さんの記録。唐松の小屋の向こう、つまり南東方向にあの雲が写っている。ビンゴ。
とどめは
富士山須走口を登られたGeldfelsさんパーティー。富士山八合目付近の斜面の向こう、つまり北の方角にあの雲。
期待されたのは、奥多摩奥秩父エリアの小屋またはテン場に居られた方の情報。たとえばあの雲が「写っていない」だけでも、アリバイというか何と言うか、雲の位置を推定する手がかりになるからだ。しかし。連休前の平日ということもあって泊まり山行としてのヤマレコの記録は少なく、期待される情報には出会えなかった。
では、あの巨大積乱雲は、どこにあったのか。
僕が居た地点から常念岳方向に視線を伸ばすと、そのラインは美ヶ原、南佐久、十国峠、秩父市、さいたま市北部、流山市、印旛沼方向へと向う。この途中のどこかに、あの巨大積乱雲があったはずだ。さきに紹介したサイトの記事からは、日没方向を捉えている。千葉、東京湾から真夏の太陽が沈む北寄りの西。秩父というエリアはそれほど外れていない。
ヤマレコの各記録の写真からも、この見当はおおよそ正しく思える。
おおよその位置を推定できたようだから、気象庁のサイトで過去天気の降水量を調べてみよう。
【過去の気象データ検索】を使ってみる。
地点を
埼玉県秩父市に設定し、2011年7月14日の「1時間ごとの値」を見てみる。夕方降雨はあったようだが、0.0ミリ。違うようだ。
>>この時の検索設定と結果
さいたま市でも0.0ミリ、所沢でも0.0。三峰方面での降水は15時台と時間帯が違う。東京の奥多摩青梅でも観測無し。練馬や八王子、都心も違う。山梨県内も、違う。群馬県南分は藤岡など降雨無し。上越国境は降っているが方角が異なる。栃木県南部にも降水記録無し。信州側に戻って調べると佐久で5.5ミリ、上田3.5ミリ、菅平4.5ミリを観測している。これがあの巨大積乱雲がもたらした「豪雨」なのか? いや違うだろう。
結論。2011年7月14日夕刻、上信国境から西上州、あるいは奥秩父の一角に、あの雲が出た。たくさんの記録がこれを明らかにしている。しかし降水量の記録から「ここ!」という地点は特定できない。何故か? たとえば都市部市街地ではなかったために個人blogやツイートには記録見つからず? また気象庁の過去記録でも観測ポイントから外れていた? ようなことが推測されるが....。
ふう。ある夏の日に眺めた巨大積乱雲の記録を追って、結論らしい結論は得られず、有耶無耶に。それでも楽しい、年末年始の調べものだった。もし、読者の皆さんに不躾なお願いで恐縮でありますが、
2011年7月14日夕刻、巨大積乱雲を見たよ、豪雨にあったよという方は、お知らせいただけませんでしょうか。僕の個人的な好奇心に過ぎませんが、あの雲がどんなはたらきをしたか、片鱗を掴むことができたらと思います。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。