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2017年4月16日日曜日

みたび、あの桜のこと




信州の春は、弾けるように爛漫を迎える。丘の上の、あの桜に会いに行こう。







前夜のウイスキーが過ぎたのか、酒を携えてくる気にはならなかった。

いや、そうではない。目覚めに空腹を覚え、勢いでかき喰らった朝飯のせいか。もう若くはないのだ。早朝から大きなどんぶりに「これでもか」と盛った炊きたてのぬくい飯と穴子の蒲焼きは、重すぎた。







うむ。朝飯には、あまり向いていないような気がする。





家からぶらぶらと、歩き始めて気づく。水路に、せせらぎの煌めきがまぶしいのだ。心地よく響く水音が、田植えの時期が近いことを知らせてくれる。ふと見上げた空を、燕が舞っている。





松本郊外、岡田塩倉の池の畔に着いた。対岸の丘の上の桜も見えてきた。おお、咲き始めているようだ。    




果樹が植えられた丘の上。古い観音堂の傍らに、その枝垂桜はある。かつては左右にあったのだろうが、向かって右の樹は根元が残されているだけだ。それでも、圧倒的な存在感で丘の上から僕を見下ろしていた。




昨年も、その前にもこの枝垂桜のことを書いた。僕はこの樹に会いに来ると、数分は言葉も感慨も喪ってしまって、ぽかんと口を開け、黙って見上げているしかない。今日も同じだった。しばらくは、写真を撮る余裕すらなく、眺めていた。

満開は数日のうちだろう。次の週末では遅いかもしれない。






桜色の天井。満開となったこの桜の下に立つと、昨年もその前にも、全身の肌が粟立ったものだ。ことし、二分咲きの下に立っても同じだった。咲き具合じゃないのだ。






これは先月の観音堂の様子。芥子望主山へぶらぶら出かけた帰りに寄ってみた。






お堂の東側のソメイヨシノ。


いったい誰が、なにが樹々に春を知らせるのだろう。数日前には雪が降ったり、また翌日には南風が吹いたり、季節は揺さぶられるように移ろう。それなのに樹々たち花たちはほころびる時を待ち、そしてあらかじめ知っているかのように一斉に咲く。思えば不思議なことではある。





お堂の裏手に回る。念仏供養塔と道祖神越しに、松本の市街地と鉢伏山が見えている。弘法山といって、おびただしい数の樹が植えられた桜の名所があるのだが、あちらも咲き始めたようでうす紅色に染まっている。賑やかなのだろう、向こうは。こちらの丘は、僕独り。






またこうして、春のひかりの中で塩倉山海福寺観音堂の枝垂桜に会えた。そしていつかお迎えが来る時は、いくたびか眺めたこの桜の情景を思い出しながら、僕は安らかな気持ちでお釈迦様の弟子にしてもらおう。




 

 

2017年3月18日土曜日

雪尾根の珈琲


平成29年三月某日。わたしは常念山脈から派生する山並みの片隅に居た。金松寺山と呼ばれる里山の奥に続く雪尾根で、さらに登り詰めて行くと天狗岩1964.1mに至る。

入山地点への林道には、早朝から春の気配が兆していた。この林道は梓(ミズメザクラ)の森の傍らを通る。わたしはこの森を眺めながら、梓の樹は万葉集で「春」の枕詞である「あずさゆみ」の材料であることを思い出していた。あずさ、あずさゆみ、春。続けて古い歌謡曲の、春まだ浅い信濃路へ旅する、あの歌詞を口ずさんでいた。

だが実際には、帰りに拾って帰ろうと企てていた蕗ぼこ(ふきのとう)がどこにも見当たらず、悪態あるいは呪詛の言葉を吐いていたのかもしれない。


林道のどん詰まりから、沢沿いの急登に入る。この先はずっと雪上、かちこちに凍っている場所が続くのでアイゼンを履く。昨日の新雪の下に、古い複数のトレースがある。なるべく圧雪されたところを選びながら、足を運ぶ。ザクッザクッと気持ちよく爪を刺して、フラットフッティングで丁寧に歩く。檜の植林の中を電光型に高度を稼ぎ、このうっそうとした人工の針葉樹林から抜ける場所も近いと知る。

やがて金松寺山の山頂へと向かう道を左に見送り、湧き水のあるトラバース道を進む。この先にも古いスノーシュー跡があるのだが、雪質は歩きにくい。稜線の北側で日光が届かないから雪は締まらず、踏み抜きに苦労する。それでもようやく、燦々と陽光が降り注ぐ金松寺山と天狗岩間の稜線に辿り着いた。

稜線に出てからも踏み抜きはやまなかった。時折、膝ぐらいまで沈み込む。こりゃあワカンを担いで来るべきだった。そんなことを考えていたら、いつの間にか時は移っていた。わたしが日帰りハイキングの引き返し時刻と定めている、午前11時11分が近づいていたのだ。



1742標高点の手前の小ピークにケツを据える。わたしはジベタリアンなので椅子類は持たない。家にもない。

ここで、この先へのハイクアップを取りやめる。頭上にぶら下がったサルオガセを眺めると、微風と呼べるぐらいに風が流れているだけだ。太陽の光はいっぱい。雪尾根のまぶしさは春の訪れを感じさせてくれる。この場所以上に、このとき以上に珈琲にふさわしい機会はないだろう。

スパイダーストーブをガス缶につなぐ。トランギアのケトルに雪を詰める。ナルゲンから少量の呼び水を注ぐ。イムコのヒットでシュボッっと点火すると、静寂の尾根にスパイダーの轟音が響き渡る。湯が沸く間に遠くの山々を眺め、また天狗岩まで行くことが出来たら、ようやくそこから眺められる山々の様子を思い出していた。


春の入り口。梓川の流れと松本盆地の彼方には八ヶ岳と南アルプス。今日は富士山が見えない。湯が沸く音はストーブの音でかき消されている。しあわせな時間が静かに流れて行く。おや、ケトルの口から蒸気だ。さて珈琲の粉をフィルターに投じよう。


普段わたしは、アルミ缶を切り出した自作ドリッパーを使っているのだが、今回初めてユニフレームのコーヒーバネットを試してみる。




これが困った。

ケトルで湯を湧かしてsnowpeakの600mlマグを使おうと思っていた。ところがである。マグが大きすぎて、ドリッパーの据わりが悪い。三点ある脚のひとつが内側に滑り落ちてしまうのだ。テーブルになるものはスノウスコップだけ。これはスパイダー氏が使っている。雪の上のマットでは安定が得られない。

やむなく、カラビナを三枚、ザックから外して引っ掛けておく。小さいマグにするべきだったな。



アロマがわたしを癒す。微風はわたしを撫でてゆく。春がわたしにただいまと告げる。至福のときを過ごし、そして撤収する。山頂までは至らなかったが、山の神さまにお供えを。マムートのスノウスコップのハンドルがお供えの三方にぴったりだ。大福餅を載せて、御礼申し上げる。




帰路は、金松寺山1625mに寄る。山頂からの下りで、下界の安曇野松本の眺めと北信濃上信越国境方面の山々を眺めることができた。








コーヒーバネットの「脚」に滑り止めを装着しておこう。シリコンチューブがあったはずだ。




これを10ミリぐらいにカットする。




ワイヤーの末端から通していく。




脚の位置までスライドしてくる。




うん。良さそうだね。







2016年4月29日金曜日

ねんぼろの春



ある春の週末。

私は里山の奥に棄てられたように延びている廃林道に汗を流していた。連休を前に身体を少し虐めておこうと、起伏のあるところを選んで10キロほどを走っていたのだ。長い区間、赤松と落葉松の林の中だった。最初の峠を越えて下りにかかる頃、樹林がまばらになって視界が開け、思わず立ち尽くしてしまった。





山嗤う、と言う。

まさにその通りで、「みどり」という色はかくまで多様なのかと思い知らされる。下界では散ってしまった桜も、まだ咲いている。うむむむ、美しいものだとアイポンを取り出して撮る。小休止をかねてしばらく眺め、私は再び走り出す。

やがて田園地帯に降りて青々とした麦畑の傍らを通り、田植え前の乾いた田んぼを眺め、別な峠に向けて登り始めた。この林道も、ふだん通る車もなく、獣害防止のゲートが掛かっている。ぜいぜいと喘ぎ、峠はもうすぐ、と己に言い聞かせること50回目、目の前の風景にまたもや、足を止めてしまった。









振り返ると、まだ咲き残る桜色。うむむむ、美しいものだ。


ペースを落として走り始めた所、すぐに峠に至った。ここからは家まで下り一本調子なので、あとは喘ぐこともない。着地のときに膝にわざと負荷をかけながら、それ以外は周りの風景なんかを愉しもう。


おっと、路傍に野蒜(のびる)がたくさん出ている。当地では「ねんぼろ」と呼んで、ごくありふれたものなので特に珍重されることもない。根っこというか球根を掘り起こし、ヒップバッグに無理矢理詰め込む。





ざっと洗って泥を落とし、きれいに掃除する。






 




水気を切って粗く刻む。この刻み加減が肝で、細かすぎると食味を損なう。




刻んだ端から味噌に混ぜ込む。放っておくと風味も辛みも消し飛んでしまうからだ。味噌は、青唐辛子を生のまま刻み込んだ、しかも二年前の秘蔵のやつを使う。ねんぼろの味わいの裏側に、ぴりりとした辛みを忍ばせる企てだ。








夕方になって、娘の小豆が散歩に行こうと誘って来た。櫟や小楢が芽吹き始めた近所の丘に遊ぶ。




帰宅すると、朝の長いランの疲れが出ていた。この疲れを除くには、あれしかない。




冷蔵庫に隠していた『大雪渓 生酒』の封を切る。蕎麦猪口になみなみと注ぐ。もちろん、アテはさっき仕込みを終えた「ねんぼろ味噌・青唐辛子風味」である。蕎麦猪口を呷る。春の味わいが口いっぱいに広がる。こうして春は満ちていく。








ある朝。お冷やご飯があったので、おじやにする。前夜に鯵の干物を焼いたものをほぐしておき、混ぜ込む。これを丼に盛って、ねんぼろ味噌を添える。





もうね、星がいくつとか数えてるうちはね、美味いものには決して出会えませんよ。















2016年2月7日日曜日

妙義山の尾根



これはもう二週間前、膝までの雪が降った数日後の週末のこと。

平日で遊べなかった悔しさに敵を討とうと、雪道具を背負って家を出る。サドルに跨がり、つるつる滑りながら近くの浅間温泉までやって来ると、雪に埋もれた野球場のそばにチャリを停める。





市街地にもまだまだたっぷりの雪。ここから這い上がる尾根道にも、もちろん雪。鼻歌まじりにウエアを整えゲイターを履き、ストックを伸ばす。野球場の前は妙義山と呼ばれる小高い丘になっており、丘を登って里山に分け入ってどんどんのぼり詰めていくと、美鈴湖を経て美ヶ原に至る。至るけどそんな遠出は出来ないので、美鈴湖の畔辺りまで、と決めていた。





ザックが大きいのは、リッジレストが一本入ってる。こいつを広げてケツを据え、珈琲を味わおうとナベやアルストも持ってきているのだ。他にはダウンジャケット、グローブの替え、12本爪、小物。里山なのに12本も爪があるのは僕が小さいのを持っていないから。





ストームゴージュ・アルパインパンツにORのクロコダイル・ゲイター、そしてハンワグのスーパーフリクション。足元の攻撃力は充分。上半身にRabのエクソダス・ジャケットを着ているので防御力も完璧。だって、モーゼに率いられての出エジプト(エクソダス)の時のように、海が割れるんだぜ?





妙義山の入り口はこの案内板が目印。標高650m、民家の玄関脇のようなところを「ちょいとごめんなさいよ」と言いながら。

古い墓地を登って行く。墓石には明治御維新前の元号も多数まじる。案内板によれば、ここは松本藩家中のうち上級武士とされた家の墓所だったそうだ。


さて、尾根に出た。


妙義山の由来は、明治の終わり頃までここに妙義山神社があったことによるらしい。

僕は妙義山古墳跡には寄らず、尾根を東に取る。松林の中を緩やかに登る小径が雪の下に隠されているのだ。

ん?

トレースがある。僕のようなひねくれ者が歩いたか。





市街地北部が見えてきた。ああ、あの辺が僕の棲むまちだ。





たっぷりの雪の中、トレースは続いている。それにしても物好きだな。

この道は、ごく近所の住人たち以外には、知られていない。国土地理院の地形図にさえ、古墳跡までの道が点線で記されているに過ぎない。前の記事で書いたような古代からの街道でもない。

なのに、道は塹壕型にえぐれ、かなりの往来があったのでは、と想像される。単なる山仕事、薪炭の調達程度の往来にしては、道が立派すぎるのだ。そして路傍に佇む石ぼとけのお姿が、この道がそれなりの要路だったことを窺わせる。




雪に埋もれた石仏。無雪期には下のようなお姿で佇んでおられる。






左、天明三癸卯六月 と読める。とすると西暦1783年、与謝蕪村の没年。一方、長谷川平蔵38歳の男盛りである。右は明治八年か。撮影は平成二十七年三月。





するとあの祠に出る。ここは標高898.5m、傍らに三角点「大村」が設置されている。この祠のことは別な時に書きかけたけど、ここにお祀りされているのは山の神さま。つまりこの尾根の道は、祈りの道なのだ。

祠の手前で、トレースの主に出会った。犬の散歩で、近所の方とのこと。





祠から先、美鈴湖まではけものの足跡を拾っていく。





標高1,050m、林道湯ノ原線に出る。冬季閉鎖中で除雪も入っていない。





ここは「美鈴湖もりの国キャンプ場」であると書かれた看板が立つ。有料施設なので無断侵入はまかりならぬ、とある。湖畔まで降りて珈琲を予定していたが、長い車道を下ったりまた登り返して来たり、気が重い。せっかくすがすがしい気持ちで祈りの道を歩けたのだ、このまま帰ろう。





往路の僕のツボ足跡。

帰路、あの祠のところでスノーハイカーズに遭遇した。聞くと僕ともご近所の方々で、スノーシュー遊びという。同じことを考えるものですなあ、と少し語り、またどこかで、と別れる。

こうして、たっぷりの雪にまみれて、至福の時間は流れていった。




2016年1月31日日曜日

峠へ。そして頂へ。


すこし前の雪が、まだ里山を真っ白につつんでいる。そこへ一昨日の新雪が載って、歩けば気持ち良さそうだ。カンジキを携えて、出掛けてみた。





松本市郊外の、岡田伊深という地籍に残る道祖神。

このあたりではどこにでも見られる風景だが、この道祖神は、街道を見守ってこられた。この細道は、はるかいにしえから京の都と善光寺さんを結ぶ、北国西脇往還(善光寺街道)という街道である。標高740m。




歴史ある道、善光寺さんの阿弥陀様のお慈悲に通じる道だけあって、道沿いには石仏、供養塔、馬頭観音など、実に多くの祈りが刻まれている。




集落の外れから山道に分け入る。ここは馬飼峠と刈谷原峠への分かれ道。どちらの峠を越えても、刈谷原宿に至る。僕は右へ、刈谷原峠へと足を向けた。驚いたことにスノーシューらしきトレースがある。




この足跡。群れを成していないのでニホンカモシカだろう。




木漏れ日の道を、峠に向って。




慶應年間の銘がある馬頭観音。




ほかにもたくさんの馬頭観音。峠越えの険路に重荷を運んだ牛馬の苦労が偲ばれる。




刈谷原峠、標高1,010m。松本城のお殿様も、江戸表に伺う時はここをお駕篭で越えたという。




スノーシュー氏はこのベンチに座ったようだ。雪を除けたあと、一昨日の新雪が載っている。トレースはここで途絶えている。ここから引き返したのだな。




僕はこのベンチでカンジキを履いて、東へ、尾根伝いに道を拾っていく。




モナカ雪だけど、沈むことはない。




行く手には、けものたちの足跡が賑やかだ。




影法師にも出会えた。




無人の尾根道、ノートレース。




梢という梢が、みんな氷漬けになってる。このせいで、入山辺の扉温泉という所ではたくさんの樹々が倒れ、温泉の泊まり客が難儀したそうだ。そう、今朝の新聞一面に出てた。




振り返るとおのれのカンジキ跡。




氷漬けの梢。




上手山の頂きに着いたようだ。頂きといっても、標高1,108.1の小ピークに三角点「上手山」が設置されているだけ。上手山をなんと読むのか、僕は知らない。




雪から掘り出した三角点。




山頂の南側。ガスの向こうに浅間カントリーのコースがうっすらと。




東側の様子。尾根通しに下っていけば、稲倉峠(しなぐらとうげ)に降り立つ。




珈琲を愉しもう。インスタントだけど。ストーブはトランギアのTR-B25。ストームクッカー風に自作したスタンド兼風防を使用して。ポットは僕のいちばんのお気に入り、MLVのチタンポット。子どもたちには「俺の骨壺にしてくれ、入らなかった分は善光寺さんに納めてくれ」と頼んである。




このスタンド兼風防、以前にも書いたからここでは省くけど、ほら、燃焼中のトランギアを手に持てるって良いでしょ?




ポットひとつのぬくもりで身体もよろこぶ。




さて、往路を戻る。




氷漬けの森よ、ありがとう。




道祖神まで戻り、ゲイターを脱いでストックを仕舞う。初午のお稲荷さんを作ろうと、油揚げを買って帰宅。さて、そろそろウイスキーでも....