ある春の週末。
私は里山の奥に棄てられたように延びている廃林道に汗を流していた。連休を前に身体を少し虐めておこうと、起伏のあるところを選んで10キロほどを走っていたのだ。長い区間、赤松と落葉松の林の中だった。最初の峠を越えて下りにかかる頃、樹林がまばらになって視界が開け、思わず立ち尽くしてしまった。
山嗤う、と言う。
まさにその通りで、「みどり」という色はかくまで多様なのかと思い知らされる。下界では散ってしまった桜も、まだ咲いている。うむむむ、美しいものだとアイポンを取り出して撮る。小休止をかねてしばらく眺め、私は再び走り出す。
やがて田園地帯に降りて青々とした麦畑の傍らを通り、田植え前の乾いた田んぼを眺め、別な峠に向けて登り始めた。この林道も、ふだん通る車もなく、獣害防止のゲートが掛かっている。ぜいぜいと喘ぎ、峠はもうすぐ、と己に言い聞かせること50回目、目の前の風景にまたもや、足を止めてしまった。
振り返ると、まだ咲き残る桜色。うむむむ、美しいものだ。
ペースを落として走り始めた所、すぐに峠に至った。ここからは家まで下り一本調子なので、あとは喘ぐこともない。着地のときに膝にわざと負荷をかけながら、それ以外は周りの風景なんかを愉しもう。
おっと、路傍に野蒜(のびる)がたくさん出ている。当地では「ねんぼろ」と呼んで、ごくありふれたものなので特に珍重されることもない。根っこというか球根を掘り起こし、ヒップバッグに無理矢理詰め込む。
ざっと洗って泥を落とし、きれいに掃除する。
水気を切って粗く刻む。この刻み加減が肝で、細かすぎると食味を損なう。
刻んだ端から味噌に混ぜ込む。放っておくと風味も辛みも消し飛んでしまうからだ。味噌は、青唐辛子を生のまま刻み込んだ、しかも二年前の秘蔵のやつを使う。ねんぼろの味わいの裏側に、ぴりりとした辛みを忍ばせる企てだ。
夕方になって、娘の小豆が散歩に行こうと誘って来た。櫟や小楢が芽吹き始めた近所の丘に遊ぶ。
帰宅すると、朝の長いランの疲れが出ていた。この疲れを除くには、あれしかない。
冷蔵庫に隠していた『大雪渓 生酒』の封を切る。蕎麦猪口になみなみと注ぐ。もちろん、アテはさっき仕込みを終えた「ねんぼろ味噌・青唐辛子風味」である。蕎麦猪口を呷る。春の味わいが口いっぱいに広がる。こうして春は満ちていく。
ある朝。お冷やご飯があったので、おじやにする。前夜に鯵の干物を焼いたものをほぐしておき、混ぜ込む。これを丼に盛って、ねんぼろ味噌を添える。
もうね、星がいくつとか数えてるうちはね、美味いものには決して出会えませんよ。
ウチでノビルは”葉”だけをしんなりするまで網で焼いて酢醤油で食べます。
返信削除ノビルを知らない人が見ると雑草を食べてる様に見えるそうです・・ウチの奥様はカルく引いていました。
ちょっと試しに食べてみろなんて言うんじゃなかった
以後、僕の口までノビルが届く事はめったにありません。
この球根味噌をコッソリ試してみようと思います。
絵師殿、お久しぶりであります、皆様お変わりなく?
返信削除葉を召し上がるというのは、少しオドロキ。
ええ、ノビルを知っている自分にも、雑草としか考えられませんて。
んがしかし。葉っぱというより、球根と茎。
こいつを刻まずに網でしんなりするまで焼いて、酢醤油で、
ときたらもう一杯始めずには居れんじゃないですか、まったく。
網焼き酢醤油、こっそり試してみます。