2015年7月12日日曜日

やけくそ弁当録

好天に恵まれた週末なのに所用で山に行けなかった悔しさをにじませてここしばらくの弁当画像をやけくそ気味に上げていくという誰得の記事がいま誕生した。



左のは、地鶏もも肉焼き、右が自作キンピラとセブンのベーコン、自作セロリのピクルス、自作梅干。以下、自作は「J」とする。





国産銀鮭焼き、Jキンピラ、J青葱(自家菜園の意)、カップ麺。





Jキンピラ、鶏もも焼き、セブンの上級ウインナー、J唐揚げ前夜の残り、J梅。鶏もも焼きは大好物で、常備菜としている。ポリ袋を用いて鶏もも肉を日本酒に漬けておき、数時間後に砂糖と麺つゆで味付けする。1時間ほど置いてフライパンで皮目からがんがんに焼く。蓋をしないとキッチンが汚れるので蓋をする。焦げたかな? ぐらいまで焼くと、ほとんど火が通っている。それでもひっくり返して反対側を強火で焦げ目が付くぐらいまで焼く。ここにポリ袋に残した漬け汁をざあっと掛け回し、蓋してひと煮立ちさせ、粗熱を取ってタッパで保存。三四日ぐらい平気で保つ。弁当箱に詰める時は薄切りにしてレンジで加熱、冷ましてから。切ったまま弁当に入れると、夏ならまな板の細菌で確実に腐敗する。





Jかき揚げ(前夜の残り、茄子、新玉葱と人参)、J唐揚げ、J梅、セブンのベーコンとウインナー。こどもが弁当持ちだったので唐揚げを作ってる。かき揚げだが、これも大好物で、油を含んだ衣をがっつがつ喰らうと「うおおおおおお!」とアドレナリンが出るから不思議だ。





総菜コーナーの49円コロッケW、国産鮭、目玉焼き、セブン兄弟。総菜コーナーのコロッケが入ると凄く高い満足感が得られて困る。目玉焼きが頻出するのは、坊主の大豆が朝飯でこれを喰らうからで、一緒に焼いてるのだ。






焼き明太子、目玉焼き、鮭、Jキンピラ、豚ロース焼き、J梅、セブンの。キンピラも頻出するが、毎週末に作ってローテーションしてるからだ。






焼き明太子、鮭、めだま、J梅、セブンの、Jキンピラ。目玉にかかっているのはマジックソルト。





茸のソテーJ梅肉和え、セブンの、総菜コーナーの魚フライ&コロッケ、Jキンピラ、J梅。納豆に付属している芥子を常備しておくと、揚げ物や肉に添えて、ウマー。ソースはもちろんナルゲンのボトルなどで携行している。





鶏もも山賊焼き、ハム入り玉子焼き、Jキンピラ、マカロニたらこソース、セブンの2匹、鮭。山賊焼きというのは、信州松本の郷土料理で、鶏肉ににんにく、蜂蜜、醤油で下味をつけ、片栗粉にまぶして揚げたもの。こう書くと南となりの塩尻方面から猛烈な抗議があろうが、これは塩尻では山賊焼きは塩尻がオリジナル、という認識が浸透しているためだ。これは松本側にも伝わっており、松本の飲食店組合だかに加盟してる知人たちが山賊焼きの共通ロゴ、のぼりなどのツールを作成して「松本が元祖」を主張している。僕にはどっちでも良い。





茸梅肉、豚バラ炒め、J人参とピーマンのJ梅肉和え、ツナ入り玉子焼き、Jトンカツ前夜残り、セブンの1本。アンド柿ピー!






緑のたぬき、J小葱、茸のソテー、Jキンピラ、豚バラ焼き。庭の青葱は家を出る直前に刻み、密閉して携行する。ふう。






冷食のポテトを潰したようなやつ、茸ソテー、豚小間肉炒め、セブン兄弟、J海苔の佃煮、目玉、J人参ピーマン梅。海苔の佃煮は、載せた瞬間に「まずった!」とパニックになりかけたが、昼には普通に美味しくいただけた。


おのれの胃袋に消え去っていくだけの定めを背負わされた弁当たち。いささか不憫でもあったので、毎日アイポンで撮っておいた。僕が「クイーンオブランチボックス」と尊敬してやまないさかした師匠には敵わないが、時おり、こうして晒そう。






2015年7月5日日曜日

梅仕事2015、第二章

まず、二番目のロット。第一章で触れた白加賀の5kgは、瓶の中で梅雨明けを待っている。二番目に仕込むのは、やわらかな果肉と上品な香り、食味で評価の高い「南高梅」を7kgとした。この梅たちは長期保存しながら経年変化を調べてみよう。





6月30日。いつもの売り場で、和歌山県産、南高梅2Lサイズを7袋購入。ブランド梅だけあって、熟し具合も揃った良い感じの梅を手に入れることが出来た。こいつも塩分15%の「やや減塩」で試してみる。平日の夜だが、娘の小豆に手伝ってもらう。洗った梅を丁寧に拭きながら、成り口のへたを取り粗塩をまぶしていく。そして桶の中に広げた漬物袋の中に、丁寧に詰めていく。なお漬物袋は国産品で食品衛生法に適ったものだけを使用している。詰め終わったら上からまぶし残した塩をざっとかけて、袋の口を緩く縛る。あとは重しを載せるだけ。重しは漬物石、ダッジオーブン、酒瓶で計11kgとした。



前章でも水上勉さんの言葉をご紹介した。その折から同じ本を読み返していて、ほかにも良い言葉に出会えた。

 梅にも醍醐味があって、その味は、ぼくという人間が、梅にからんで生きてきているからである。

突き刺さる言葉である。では、僕が漬けて干す僕の梅の味には、僕自身が絡めているだろうか。己にそう問いかけることには、多少の勇気が要る。そしてまた、こういうことを問いかけること無く、考えてみることもせずに梅干を作っていたおのれが恥ずかしい。





7月3日。南高梅はたっぷりの梅酢を上げてくれた。桶を空けねばならんので、またビンへと引っ越しを行う。









続いて、三番目のロット。
7月4日の土曜日、朝から売り場へと向う。おお、群馬県産の『見切り品』が出ている。品種等級の記載が無いのは、売れ残ってしまった梅の中から傷んだ物を取り除いた混成チームということだろう。圧倒的に安いので6袋全部を購入、使えない梅は諦めて、きれいな物だけを漬け込むとしよう。なあに、僕の弁当用だ、見た目など気にしない。





洗って見ると、数粒、傷んでいたので取り除く。このロットは15%とかで仕込むと黴が出たり発酵が起きたりしそうだから、20%で仕込む。大樽に隙間無く並べ、1.2kgの粗塩をまぶした。重しは12kg。

24時間後には七分ほどまで梅酢が上がっていた。見切り品だからもう少し慎重に、黴を警戒し続ける。





おっと、四番目のロットだ。これは心に残るものになるに違いない。



というのも、拙宅の庭の梅の樹が、今年、これまでで一番の実なりなのである。特に手入れをしている訳ではないが、庭の梅で仕込む梅干というのが、嬉しい。この二、三日で落ちた梅を集めてみると2.5kgある。やはり黴を懸念して20%の塩分。小さな桶を探し出して、ペットボトルで8kgの重しから始める。始める、というのは重しは徐々に軽くしてやるからだ。なおこちらも24時間後には梅酢が浸かるぐらいまで上がってくれた。





 人は、手でつくることにおいて、はじめて自然の土と共にある。

これも水上勉さんの言葉である。欧州に出掛けてワイナリーのあるじから話を聴いた折り、その熱さに打たれた、という文脈において、このことばが出てくる。庭の梅の樹は、僕が植えたものでもないし手入れしている訳でもない。それなのに不遜極まりないが、僕自身も少しだけ、自然の土と共に存在できるかもしれない。





2015年6月30日火曜日

プールサイドで 2015年、夏。


その日曜日。午後のひととき、ラジオから流れる達郎さんのトークを聴きながら、僕はプールサイドに過ごしていた。


空は青く、遠くに浮かぶ雲は穏やかで、梅雨はどこへ行ったのか、と訝しく思えてくるような天気だった。


山に行けば良かった。稜線のある小屋で働いている友人が、数日前に報せを寄越した。「こまくさが咲いたよ、見に来い」と。これは「酒が切れた、担いで来い」の意を含むから迂闊に乗ってはいけないが、違う山に行けば良いだけの話。こまくさを眺めに、出掛けたいとは思っていた。



9歳になる娘の小豆が、またターンを切った。

10往復目を越えたあたりから、僕は数えるのをやめた。25mプールをクロールで、だからもう500m以上を泳いでいる。昨年、同じこのプールで300mを泳ぎ切ったとき、僕は新しい水着を買ってあげようと約束した。その水着も、たった一年で小さくなってしまい、この日は窮屈そうに着ていた。そして「もう買い替えようね」とさっき話したばかりだ。この一年で、水着は小さくなってしまった分、小豆は300mから500mに距離を伸ばした。そしてターンを重ね、距離はまだ伸び続けている。


山に行けば良かった。
貴重な、梅雨の中休みの日曜日。天気予報では雨マークで絶望視していたのに、晴れてくれた。だからこうして、僕はプールサイドに居られるのだけれど。


プールの向こうでまたターンを切った小豆が戻って来て、今度は、水から上がって来た。

「パパ、ふふふ、千メートル泳いだよ」

息があがることも無く、ゴーグルを外しながらふつうに話しかけて来た。僕は山に行かなかったけれど、忘れようとしても忘れることの出来ない、たいせつな想い出をひとつ、こころに刻んだ。




2015年6月29日月曜日

「金の麺」を返り討ちにした話


セブンイレブンにて、「金の....」シリーズの袋麺を見つけた。

『生麺への挑戦。』

しかし、挑発的なコピーではある。68円(塩味・税抜)というプライス設定で「生麺」を謳うのか。パッケージ裏面には東洋水産(マルちゃん)との共同開発商品であると明記されている。僕は挑発に乗せられて、2袋を買い求めた。

このコピーには、こんな伏線が隠されている。

話は遡る。2011年11月7日リリースの袋麺で、たぶん初めて本格的な生麺タイプをコンセプトに掲げた「マルちゃん正麺」出現によって、インスタントラーメン業界には激震が走った。消費者の多くがこれを受け入れ、各社はこぞって追従せざるを得なかったのだ。

以来、およそほとんどのブランドが生麺タイプに舵を切る。そう、いまやインスタントラーメンはカップ麺から袋麺まで「生麺タイプ」の時代なのだ。そのトップランナーとして走る東洋水産=マルちゃんがここでわざわざ『生麺への挑戦。』を掲げるということは、満を持して他社の追従を振り切るという、それなりの自信作なのだろう。






なかなかに、ふてぶてしい面構えである。僕をせせら笑うように、嘲るように湯に浸っている姿が憎々しい。

茹でられているのである。それを、この上から目線でスルーしようとする根性が受け入れられない。クズ過ぎる。






3分ぐら経って、すこしほどけてきた。

しかし、なにを、偉そうに....。おまえ、態度悪過ぎ。身の程知らず。

たかが68円の袋麺の分際で、本当に「生麺」を貫く自信があるのか? 茹でられて盛り付けされて、どんぶりというステージの一番前、ど真ん中で、この僕に「ワイ生麺、生麺やで」と声に出して言えるか?

僕は、激昂した。この眼に余るまでに横柄な態度を取り続ける「金の麺」とやらを、ぐっだぐっだのぼろぼろにしてやりたかった。完膚なきまでに打ちのめす必要があった。地べたに這いつくばって、全身で泣き叫んで僕に赦しを請う姿を見たくなった。





「金の麺」よ。返り討ちにしてやる。





僕に死角など無いのだ。「金の麺」とやらが茹でられる前に、すでに隣のコンロでは野菜炒めが香ばしい匂いを放っていた。新玉葱、茸もどっさり、にんにくもしっかり。




野菜たちに火が入って、旨味が引き出されていく。油がまわって、美味しくなっていく。




おまえが「脇役」扱いにしてる、ほかの役者たち。ぜんぶスタンバイしてるけど、おまえが「エキストラ」と蔑む青葱は、まだメイクもしてない(刻まれてもいない)余裕のカマシ。それに較べて、おまえ必死過ぎ。青葱は、おまえが茹で上げられてどんぶりに移る直前に、刻むのだ。


おい、5分経ったぞ。
クッソ生意気な「金の麺」とかいうムカつく野郎、出て来い。
ボコボコにしてやる。







思い知ったか!



主役「金の麺」、存在感なさ過ぎw 片腹痛いわ。

青葱なんか庭の青葱で摘みたて、しかも刻みたて。半熟玉子も仕事してるし、野菜炒めの圧倒的パフォーマンス。

「金の麺」で「生麺への挑戦。」.... どんぶりにおまえの居場所、ないない。





ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ。


これは美味い生麺......



2015年6月27日土曜日

梅仕事2015、第一章


今年も、この季節が巡って来たのだ。

熟し梅を買い求め、塩にまぶし瓶(かめ)に漬け込み、真夏の太陽で灼く。これが数年前からの僕の愉しみである。ある年にこれを怠ったら、翌年の梅干が不足してつまらない思いをした。なんの、梅干など買ってくれば良い、という向きもあろうが、国産梅干の価格を想像すればぐぬぬとなるし、かといって支那産の物など食べたくもない。

こう書くと過剰に梅干が好きなのか? と誤解を受けるが、好きは好きでも普通に好きで、一日ひと粒を弁当に載せるだけである。週末の手料理に、たとえば鯵のたたきに青紫蘇と梅を添えて、というぐらいには使う。だから白状すると、食するのが愉しみなのではなくて、手作りするのが愉しみなのだ。昨年も引用したから再出になるが、水上勉さんのことばで  

 まことに、人は、梅干一つにも、人生の大切なものを抱きとって生きるのである。 

さらに、  

 世をたぶらかして死ぬだろう自分の、これからの短い生のことを考えると、せめて梅干ぐらいのこしておいたっていいではないか。 

これである。
すとんと心持ちの真ん中に落ちてくる言葉である。かくんかくんと、何度も頷いた後にもう一度「うむ。」と得心する。





前置きなど、どうでも良い。平成27年6月20日、梅5キロを購入。今年の初ロットは、群馬県産白加賀、等級記載の無いお徳用である。その証拠に1kgあたり198円。これを5kgだから千円に満たない。ここに手をかければ5kgの梅干が手に入る。費用対効果とかではなく、好きなだけ安心して食べられるという、こころの満足か。

冒頭の写真は、水洗いの様子。熟し具合に分けておき、まだ青いのは2時間ほど流水にさらす。黄色くなっているものはざっと汚れを流す程度。二枚目の写真は水洗い後。風に当てて乾かす。





粗塩は、750グラム。5キロだから塩分15%の梅干に仕上がる。いつもは20%、あるいは18%だから、すこし冒険である。何が冒険かというと、低塩分だと黴が発生しやすい。梅酢が上がるまでに時間を要するので、その間に梅の実に黴が付くのだ。これをやると大変で、昨年、少量だが失敗した。






さて、道具を揃える。真ん中のボウルの液はホワイトリカー35度。梅に竹串を丁寧に操って、へたを取る。その際に実にぶしっと刺さぬよう、細心の注意を払う。例年、娘の小豆が手伝ってくれるのだが、この日は遊びに行っている。なお、今年から、この場面でも老眼鏡を用いた。

へたを取ってホワイトリカーに浸ける。浸けて粗塩にまぶす。まぶして容器の底に並べていく。






丁寧に隙間無く並べる。体積が小さいほど短時間で梅酢に浸かる。黴から免れることが出来る。なお、傷がある梅の実は底の方に仕込む。最初に梅酢に浸かるからである。

(追記:昨年の南高梅の梅酢を保存してあったので、これを500ccほど借りて塩漬梅に注いでおいた。いわば呼び水ならぬ呼び梅酢で、これが功を奏して無事に梅酢を上げたのだろう。もちろん今年のロットから梅酢は回収し、来年用に保存しておく)




残りの塩を上に載せる。うがっ、こんなに! とお思いかもしれんが、これでも減塩15%なのである。この後、袋の口を緩く縛って埃の混入を防ぎ、重しをする。このロットの重しは、漬物用重し5kg、ダッジオーブン5kg、ペットボトルなど2kg。重すぎると梅が潰れ、切ない。軽すぎると梅酢が遅れ、黴が出てやるせない。






翌々日。6月22日夜、帰宅して確認すると、梅酢がしっかり上がって来ていた。これで半分は成功。この桶は次のロットのために空けておかねばならないので、瓶(びん)に移す。






6月27日現在、梅の実は梅酢の中に浸って梅雨明けを待つ。真夏の到来を静かに眠って待っている。土用の頃に瓶から出されて歓声を上げるだろう。だがしかし、無慈悲な灼熱の太陽に焼かれ炙り尽くされる運命も待ち受けていることを、未だ知らない。





2015年6月25日木曜日

裏山の水辺でクリンソウに出会う

その日に出会った花も、奇天烈だった。




扉温泉から鉢伏山というところまで、沢筋の小径が付けられてる。僕はミスト感一杯の森の空気につつまれて、この小径を歩いていた。平成27年5月31日のことだ。



沢沿いのトレイルはとても歩きやすく、せせらぎ、鳥の声、時おり梢を鳴らす風の音で満たされていた。


ああ、癒されるようだ。

森の上には荒々しいガスが巻いており、妖気漂う陰鬱な谷底には怪しげな羊歯(しだ)が繁茂し、しかも地面にはニホンジカの無惨な屍やら白骨やらをいくつも数えたけれど、僕自身はしあわせだった。




いつまでも消えそうにない頭上のガスに、数百回目の呪いを吐き捨てた頃、傍らに奇妙なものを見た。


なんなのだこのありえないぞうけいのさいくぶつは......





それは、何かの間違いで造形されたオブジェと云うか前衛的な作品と云うか、僕の理解と認識を越えた異世界の地平の彼方に咲く花だった。いや、宇宙の反対側の惑星の地下帝国の果てに、ひっそりと咲いているような花だった。ありえないよこんなの。




この花に出会う前の僕は、ごく普通に里山歩きを愉しんでいた。あのニホンジカたちとは違う境遇にあるし、マイナスイオン浴びてるし、とにかく普通にしあわせだったのだ。



ほらしあわせでしょ?




こんなみずみずしいみどりの中を漂って。





これはふつうに美しい。ベニウツギと云うのだと、某所でお世話になっている安曇野出身のkanosukeさんがご親切に教えてくれた。






でもこの姿には、ヤられた。なんだか混乱してしまう。




やはり尋常じゃない。




神さま何か間違ってます的な困惑を抱いて、僕は小径を登り続けた。

この花は、クリンソウだとkanosukeさん情報。どうもありがとうございました。











沢筋から尾根へ。落葉松に笹という、美ヶ原付近ではあたりまえの風景。




このガスにはもう二千回の呪いを浴びせてやった。




前鉢伏山山頂。




鉢伏山山頂。




穂高は見えず。かといってここで臆してセレモニーを怠るような男ではない。きちんと、決まり通りに大福をむしゃむしゃ。













扉温泉に降りる途中で、晴れてきやがった。あの奇妙な花のせいだ。










2015年6月24日水曜日

夏へと移ろう 時の狭間に


梅雨入りの頃。信州松本のこの辺りでは、林檎がもうこんなに。すこし前に爛漫の春に浮かれていたら、いつしか夏は兆して果実が太り始める日々を迎えていた。





風が田んぼの水面をゆらす。やがて育った稲で景色は鮮やかな緑に染まるだろう。

そんなある日、ぶらぶらと郊外の丘の方へやって来た。



かつて紳士淑女たちが憩いを求めてやすらいだ場所。いまは廃墟寸前。





きめえええ桑の実。この辺のこどもたちはこれをむしって普通に食すと聞くが、おいらには無理。



やっぱり無理。




どう考えても、無理。食べられないよ。




丘の上、棄てられた乗用車が二台ある。これを見に来た。

おお、木立が以前よりも茂っている。初めて見たのは五年前。




うははははは。やっぱり笑える。

はじめは小さな幼樹だったのだ。すくすく伸びて育って、ボンネットは最初から外されていたのか、エンジンルームを突き抜けて空を目指して。うはははは。やっぱり笑える。いのちのたくましさなのか、用を成さなくなった道具たちの上に流れた空虚な時間なのか。いや、その対比に風景としての面白さがある。ふふ、来年もまた見に来よう。