2016年7月10日日曜日
夏の夕、炎が揺れている
山にも、野営にも出かけない梅雨空の週末。
僕は煩わしい用事を片付け、やりかけの梅仕事の少しを終え、回覧板もまわした。洗濯物の取り込みも確認した。今日は参議院議員選挙の投票日だが、朝のうちに投票も終えている。子供たちは母親に連れられて神社のお祭りに出かけるだろう。食事は外食と話していた。うん、これでいい。
書斎に戻り、散らかり過ぎたデスクの上を呆れ顔で眺めた。いや、ここはそのままで良いさ。気持ちに区切りをつける。ウイスキーのボトル、マグ、そしてつまみの用意も。窓は開いている。風が入ってくる。郊外だからあまり雑音は無い。
Macの電源を入れ、外部スピーカーのヴォリュームを上げる。
思い出したように庭に出て、園芸用の木酢液の容器を手に戻る。こいつを空いたトレイに少したらす。焚き火の匂い、が書斎中に漂う。木酢液は弱火のアルコールストーブで炙ってもいい。今日はストーブを使わない。
YouTubeを開いて、ある焚き火の映像を開く。このクリップは8時間以上ある。ときどき、一晩中流してみたりする、お気に入りのクリップだ。
どこだろう、"The Great Outdoors" としか書かれていないが、原野に薄明の空を眺めて、目の前で焚き火がはぜている。フクロウとコオロギの声がする。カメラは固定で、気がつく限り何かが周囲で動き回ったり、気配がしたり、しない。炎と、薪がはぜる音と、さきのフクロウたちだけだ。撮影者は、どこに居るのだろう。カメラをセットして、離れた場所に居るのだろうか。月がある。月は動かない。だから厳密には、短いクリップを編集でループさせていると解るのだが、そういうことが気にならない。眺めていると、何も考えていない自分に、ふと気づいたりする。最後に焚き火をしたのはいつだったろう? そう問いかけてみる。問いかけて、問いかけが宙にほどけて消えてしまう。焚き火のことを詩にした人がいた。詩人のことを思い出そうとしてやめている。庭の菜園の、これからの段取りを考え始めた。次の瞬間には、もう考えをやめていた。夏山、どうしよう? 横尾の本谷でいいのだろうか。横尾尾根に登り上げるポイントの踏み痕は見つけられるだろうか? でもすぐに、考えることをやめていた。
思考が、途中で、みな消えてしまう。
マグを呷る。空だと気づかず呷る。おっと、と呟きウイスキーを注ぐ。風呂はいいや。実は今朝、近所の浅間温泉で湯浴みして来たのだ。いい風呂だったなあ... しかし風呂のことはどうでもいい。焚き火が揺れている。炎が揺れている。薪がはぜる。どこかでフクロウが鳴いている。あれはコヨーテ? いや僕はコヨーテの声を知らない。コオロギ。風がないようだ。炎が揺れている。時がほどけていく。自分自身もほどけていく。だいぶ実体がなくなってくる。まだ、炎が揺れている。
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