2015年3月29日日曜日

雪尾根の春・天狗岩


数日前、安曇野で燕が飛び交うのを見た。いよいよ春。スノーシーズンの終わりも間近と感じる。そう、春を迎える嬉しさには、一抹の寂しさが混じるのだ。そこで腹いっぱい雪にまみれたくて、手近な山へと出掛ける。




2015年3月28日。安曇野からモルゲンロートの常念。




これから向う山群は常念山脈から派生する2,000mクラスの山々。こちらにも、朝の光。




標高868m、金松寺山林道のゲートをスタート地点に。しばらくは林道歩きが続く。




林道は行き止まりとなり、山道に入る。この入山地点からはたっぷりの雪がお出迎え。檜の植林の中を黙々と足を運び、高度を稼ぐ。急な登りに身体が絞られる。




1,529m、金松寺山山頂分岐を見送る。




これから向う天狗岩1964.1m(左)。右は黒沢山2051.4m、天狗岩から先の道はない。




金松寺山と天狗岩をつなぐ稜線に出る。南側の一部で笹が出ている。




高度が上がってくると、視界が開けてくる。小休止しよう。




定番の大福が売り切れていたので、この日は羊羹を行動食に選んだ。




左から八ヶ岳の横岳、赤岳、重なって阿弥陀、権現、編笠。手前の稜線は高ボッチから塩嶺峠へと続く中央分水嶺。




視線を南に振ると、富士が頭を出す。鳳凰三山はクリックで拡大をご覧あれ。地蔵のオベリスクが確認できる。尖った甲斐駒、駒津峰、双児山、北沢峠。




南の高峰たち。さらに右には塩見荒川聖光まで。塩尻の丘陵にたなびく霞も美しい。










残雪の尾根に兆す春。南アルプスを振り返り振り返り、天狗岩を目指す。




空へと続く、白き尾根。




安曇野の彼方には、北信濃の山々が。




雪の尾根を、どこまでもどこまでも。ノートレース、誰にも会わない。




最後の急登はストックをピッケルに持ち替えて、這い上がる。ここはてっぺんに雪を載せた天狗岩。左奥が八ヶ岳、中央から右奥が南アルプス。




今回はスルーした金松寺山 1,625mが眼下に見える。




南西方向に御嶽。




いまだ歩く機会のない鉢盛山。いつか、そのうち。




真南に木曽駒から三ノ沢岳の稜線。




天狗岩山頂1,964.1mの山名案内板。ゲートからほぼ高度差1,000メートル、2時間40分かかっている。




そして、間近に仰ぐ気高き岩の伽藍。左の明神、奥明神沢のコルを挟んで前穂のピーク、重なってすぐ右に奥穂。その迫力に、肌が粟立つのを抑え切れない。




立ち位置を変えてわずかに視点をずらすと、白出のコルと涸沢岳。




穂高をもう少し見たくて、眺めたくて、天狗岩のさらに奥のピーク1,994を訪ねてみる。そこは針葉樹の巨樹がたたずむ、平坦で静かなピークだった。眺望は得られない。ここでパンを齧って引き返すことにする。




天狗岩に登り返すのもやだな。山頂北側斜面を巻いてやれ。これは振り返って撮っている。




と思ったら雪壁とも言える急斜面に引き込まれそうになった。これはまずいと、慎重に這い上がる。




稜線は近いぞ。降り注ぐ陽光に向ってなおも這い上がる。




ビンゴ、往路の僕のトレースだ。




ひゃああ、気持ちよすぎる。たっぷりの陽射し、温かな風。遠い山々の眺め、名残惜しい、雪の感触。




山靴の沈み込みが、徐々に深くなってくる。この暖かさだもの、そりゃ腐りますわ。




でも最高。いま、ここにある春。




北側に常念がでかい。




標高を下げてきて分岐を再び通過する頃には、雪はgdgd、ズブズブ。 植林帯の道はずるずる。




林道へ帰着。




湧き水のかたわらで蕗の薹を頂く。蕗味噌にしてやる。




帰路。松本平から山脈南端を振り返る。左が金松寺山、中央左寄りに天狗岩、中央に折り返し点の1,994mピーク、右が黒沢山。



山の神さま、ありがとうございました。



2015年3月8日日曜日

豚骨原理主義者の日曜日


夜明け前。ぽつぽつと窓が叩かれている。

おや、今日は雨か。部屋の隅にはパッキングの済んだザックが転がっている。ワカンとアイゼンが外付けにされて。雪が残っているうちに、裏山の尾根のひとつを歩いてこようと企んでいたのだ。

雨に叩かれてまで、出掛けることもあるまい。

そう言い訳をすると、また頭から布団を被る。しかし、もう眠れない。腹が鳴るからだ。仕方なく這い出して台所へ向う。ヤカンを満たしガス台に載せる。冷蔵庫の豚肉と高菜漬け炒めを取り出し、どんぶりを置く。青葱を切らしていることを思い出し、猛省する。ちくしょう、愉しみが殺がれた。

部屋に戻って麺を選ぶ。僕は食糧を台所ではなく自室の棚で保管しているのだ。米を含むと約百食分。五人家族で一週間分はある。


在庫している豚骨ラーメンの一部。







今朝の主役は、五木食品の『博多らあめん〜博多っ子の情熱・白濁豚骨』。


湯を沸かしながら、豚肉を煮る。日本酒と砂糖を少し。火が通ったら塩と胡椒、白出汁。



肉の鍋に、袋麺のスープを開けて、肉とスープを馴染ませておく。僕は袋麺でも、麺とスープに別々の湯を使う。


麺を湯に投入、やや硬めに茹で上げる。手早くどんぶりのスープに麺を浸けて、具材をトッピング。本当に哀しいことに、青葱が足りない。庭に出ればあるのだけれど、アブラムシが密集していたビジュアルの記憶で、使う気にならない。ほんとうに、哀しいことだ。



日曜日の朝、僕のこころを曇らせている、青葱の重すぎる不在

白濁豚骨スープに白いストレート麺、そして肉があっても、国産高菜漬けがあっても、この不在を埋めることは不可能なのだ。





















2015年3月1日日曜日

僕のKUKSA異聞

いまの僕がしあわせなのは、数年前にKUKSAを贈られたからだ。


そのころの僕は超低空飛行を続けていて、ある意味どん底に居た。そんなもがき苦しむ日に、大切な友人から荷が届いた。僕の苦境を見るに見かねて「楽になりなよ」とトリカブトの根っこでも送ってくれたのかと開いた箱から転がり出てきたのは、白樺の樹の瘤をくりぬいて作られたKUKSAだった。フィンランドに伝わる伝統的なこのカップ、贈られた者はしあわせを手にするのだと聞く。すると僕は本当に、二年か三年をかけてしあわせになった。

だから僕はこのKUKSAを大切に、酒を飲む時はこれ、と決めて愛用していた。


























去年の春山で。テントの前にストーブを据えて飯をこしらえている。ウイスキーを満たしたKUKSAが写っていた。



大切に扱ってきたつもりの僕のKUKSA。黴を生やしてはいけないよ、と聞いていたので、濡れたまま放置しないように気をつけていた。洗剤を使用しないこと、ともわきまえていたので、水洗いと乾燥に努めていた。が.....



裏山を散歩してボルドーを愉しんだ直後のKUKSA。

げええぇえぇぇぇっ 
あ、赤い醜悪な斑点が、木目に浮かび出している....
内側もワインレッドに染まってしまっている。元に戻るのか....



なにか取り返しのつかない間違いを犯してしまったようで、僕は狼狽した。扱いを間違えたのか、それともワインには適さないのか....


なすすべもなく、僕はじゃぶじゃぶとKUKSAを水洗いして、使い続けた。














うわあああ。翌週だったか、午後に自室でウオッカを愉しもうとした時だ。 










前回のボルドーの色素が木質部に残っていて、これがウオッカとともに沁み出してきたのだろうか。

考えてみれば、白樺はとても油脂の多い樹だ。内部も表面ももともとのオイル分が被い満たしていたところへ、僕がとくとくとウイスキーやウオッカなどの強い酒を注いできた。アルコールは油脂を溶かすから、これがいつの間にか木質部内部の油脂を抜いてしまったに違いない。こうなると微細な穴が開いたスポンジと同じで、液体が滲み出てしまうのだろう。




調べてみれば、KUKSAの表面には蜜蝋が塗られているらしい。手入れにはアマニ油やくるみ油などを塗って乾燥を防ぐ、ということもわかった。僕のピッケルはもちろんウッドシャフトなんかじゃないから、手元にアマニ油は無い。しかしつまみのナッツ、くるみなら常備である。





ローストされたくるみの実をカップの中に放り込む。これを指の腹でつぶしてつぶして、肌に擦り込む。そんなことを数日続け、僕のKUKSAは甦りつつある。オイルを手に入れてさっさと済ませたいところだが、それでは申し訳ない。実に長い時間をかけて、くるみの実を潰す作業に没頭する。贖罪の意味を込めて、木肌を指で愛撫する。 
 
 
 
うは。この照り。浮かび上がる木目の美しさ。ギブソン社のレスポール、そのトラ目を連想させてくれる。
 
 
 
KUKSAで強い酒をお楽しみの諸賢。オイルを補うことを、ゆめお忘れなく! 
 
 
 
 
【追記】

あれから一週間。僕はククサを磨き続けた。くるみを潰し、擦り込んで、撫で擦り回して。












くは。うは。


 
たまらんっ。


革ひもがどこかへいってしまった。仕方が無い、アクセサリーコードを。

 
もちろん、ダブルエイトノット。