2014年9月28日日曜日

ふたたび、赤い稲妻。

秋の深まりは、あの赤い稲妻を伴う。

そう、旧blogにも書いた唐辛子の醤油麹漬けのことだ。円熟の辛み、麹が醸した味わいの深み、そしてベースになる醤油のきりりとした表情。これらを完璧に兼ね備えた、純粋に「和」の辛み調味料。 東北地方では青唐辛子、醤油、麹をそれぞれ一升ずつ漬け込んで保存食にしていると聞く。この東北の「三升漬け」に近いものなのかもしれないが、僕の場合はペースト状にして調味料としている。肉に、魚介に、そして野菜にも豆腐にも合う、不思議な調味料なのだ。

これが赤い稲妻。調べた限りでは同様の辛み調味料は無いようだ。どこかにある、という情報があればお知らせ願いたく。



なんだそれは豆板醤みたいなものか? とのご指摘もあろう。が、あのようながさつで雑駁な辛みではなく、ぴーんと響いてしーんと深まってふっと余韻を残す、まあ例えるならば『古今和歌集』に編まれたやまとうたの響きのように典雅で格調高い味わいなのである。


前回の余った青唐辛子を何気なく醤油麹に漬け込んだいきさつは、昨年書いた。これが想定の範囲を超えて美味なるしろもので、家人と奪い合いになり一悶着どこ ろではなかった。そこで騒動の種を減らすべく、しあわせを増やすべく、今年は庭で栽培した唐辛子以外にも手に入る限りの唐辛子、青唐辛子を醤油麹で漬け込んでおいたのだ。


五月の連休に山に出かけたその前日、去年のタカノツメの種を蒔いておいた。これがかなりの量の実を付けてくれたのである。




たくさん穫れた。


さらに穫れた。そしてまだまだ穫れる。



左奥の瓶が醤油麹。漬け込み期間は一週間から二ヶ月と、ロットによって変えてみた。




防護眼鏡をしてフードプロセッサーで処理。主に視覚的な理由から、もの凄い罪悪感のような感覚に抱きすくめられる。



種を残したロット、完全にすり潰したロットとさまざまに処理してある。


こいつの恐ろしいところは、まだ麹菌が生きているので発酵が終わっておらず、キャップをできないということだ。そのため、ぶくぶくと膨張し、知らぬ間に床が赤いペーストに覆われる、という悲劇を招いている。




熟成待ちのロット。品種や漬け込み方もさまざま。



さて、それはわかった。ではいったいどうやって味わうのだ?
うむ、これは調味料であるから、肉や魚に添えて食す。え? 具体的に?



例えば、である。晴れ渡った秋の一日。僕は庭に出る。信州産地鶏のもも肉をカットし、竹串に刺してある。ここに塩を振るのだが、「あらしお」というフレーク状のやつをぱぱっと。

ストーブにガス缶をつないで点火。網を載せ、ここに串に刺した地鶏を。


じゅわっぶふぁっ、じゅううううっ。




ときおり、肉の脂が網に落ちて炎があがる。その炎を受けて、肉が炙られる。香ばしいかおりがあたりに漂い、ねこたちが騒ぎはじめる。


あぐううぅっ。

唐辛子を添えた写真は、ない。







2014年9月25日木曜日

いのりの道、峠道

9月の初旬、いにしえの峠道を歩いた。
京の都から信濃の國善光寺へと至る北国西往還、古代からの街道。


標高1,100mほど。草むす小径は、普段は歩くひとも無いとうかがわせてくれる。

登り始めて間もなく、薮の奥からの視線のような気配を感じた。
何も無い。が、よく見れば茂みの中に石仏。








空にはまだ、夏の気配が残っていた。



この峠道には、いくつもの石仏、神像、石碑が祀られている。いずれも苔むした古いものだ。街道の難所として知られたこの峠を行き交う旅人を見守り、願いを聞き届けてこられたのだ。



















木漏れ日の中を4時間。10キロ少し。永きにわたっていのりの込められた美しい空間に身を委ねる。





この日はメレルのスーパーライトというレザーブーツを履いていた。


 

峠を越えた田園には、蕎麦の花が咲いていた。もうすぐ実をつけて冬を前に収穫となる。






当地では稲刈りの真っ最中。天日に干した新米の味わいやいかに。








2014年9月22日月曜日

ぬこ


こどもたちが遊び場に使っている部屋の床で、なにかがしんでいた。

 庭にも蝉や蜻蛉の死骸が、よく落ちている。秋深まって生き物たちの季節が、駆け足で走り去ろうとしている。


けむくじゃらの、このいきものも同じなのだろうか。




 やすらかに、眠っているかのような穏やかな表情。野生か?




 造形の神から、もっとも忌み嫌われた存在のように思える。




あああああ! 目を開いた。 































う、動いた。油断のならない生き物のようだ。