そう、旧blogにも書いた唐辛子の醤油麹漬けのことだ。円熟の辛み、麹が醸した味わいの深み、そしてベースになる醤油のきりりとした表情。これらを完璧に兼ね備えた、純粋に「和」の辛み調味料。 東北地方では青唐辛子、醤油、麹をそれぞれ一升ずつ漬け込んで保存食にしていると聞く。この東北の「三升漬け」に近いものなのかもしれないが、僕の場合はペースト状にして調味料としている。肉に、魚介に、そして野菜にも豆腐にも合う、不思議な調味料なのだ。
これが赤い稲妻。調べた限りでは同様の辛み調味料は無いようだ。どこかにある、という情報があればお知らせ願いたく。
なんだそれは豆板醤みたいなものか? とのご指摘もあろう。が、あのようながさつで雑駁な辛みではなく、ぴーんと響いてしーんと深まってふっと余韻を残す、まあ例えるならば『古今和歌集』に編まれたやまとうたの響きのように典雅で格調高い味わいなのである。
前回の余った青唐辛子を何気なく醤油麹に漬け込んだいきさつは、昨年書いた。これが想定の範囲を超えて美味なるしろもので、家人と奪い合いになり一悶着どこ ろではなかった。そこで騒動の種を減らすべく、しあわせを増やすべく、今年は庭で栽培した唐辛子以外にも手に入る限りの唐辛子、青唐辛子を醤油麹で漬け込んでおいたのだ。
五月の連休に山に出かけたその前日、去年のタカノツメの種を蒔いておいた。これがかなりの量の実を付けてくれたのである。
たくさん穫れた。
さらに穫れた。そしてまだまだ穫れる。
防護眼鏡をしてフードプロセッサーで処理。主に視覚的な理由から、もの凄い罪悪感のような感覚に抱きすくめられる。
種を残したロット、完全にすり潰したロットとさまざまに処理してある。
こいつの恐ろしいところは、まだ麹菌が生きているので発酵が終わっておらず、キャップをできないということだ。そのため、ぶくぶくと膨張し、知らぬ間に床が赤いペーストに覆われる、という悲劇を招いている。
熟成待ちのロット。品種や漬け込み方もさまざま。
さて、それはわかった。ではいったいどうやって味わうのだ?
うむ、これは調味料であるから、肉や魚に添えて食す。え? 具体的に?
例えば、である。晴れ渡った秋の一日。僕は庭に出る。信州産地鶏のもも肉をカットし、竹串に刺してある。ここに塩を振るのだが、「あらしお」というフレーク状のやつをぱぱっと。
ストーブにガス缶をつないで点火。網を載せ、ここに串に刺した地鶏を。
じゅわっぶふぁっ、じゅううううっ。
ときおり、肉の脂が網に落ちて炎があがる。その炎を受けて、肉が炙られる。香ばしいかおりがあたりに漂い、ねこたちが騒ぎはじめる。
あぐううぅっ。
唐辛子を添えた写真は、ない。