10ヶ月ぶりのテン泊装備を背負って、僕はあずさ2号の座席に身を沈めた。山に向うためだ。38リットルのザックにはすべてが入り切らず、アイゼンはリッジレストに巻き込んで外付け、バゲットと長葱はストックホルダに挿してある。
前に違うところで書いたけれど、あずさ2号は信濃路へ走るのではなく信州松本から東京へ向う。そういえば、10ヶ月前にテン泊装備を背負って乗ったのもあずさ2号だった。あの時は、広河原から北沢峠に向ったのだった。
わずかな時が移り、まだ朝早い茅野駅に着く。小走りに麦草峠行きのバス乗り場へ移動する。途中の通路にはクライマーたちが眠っている。乗り込んだバスのディーゼルエンジンの唸りを聴いて、理由もなく「俺は旅してる!」と叫びたくなる。バスの車窓には田園風景が広がり、やがて別荘地をどんどんのぼり、ついには僕はひかり眩しい麦草峠に降り立った。
歩けるのだ。
この10ヶ月の間。あまり山に出かけることはできなかった。せいぜい半日、裏山のあたりで歩いたり雪に潜ったりが精一杯。それだけに、今回の山旅はこころの底から楽しみにしていた。天幕を担ぐ、というのは特別なことで、山に眠ることを許されていること。今日と明日が山で眠ることでつながっている、至福の経験なのだ。
僕は北八ヶ岳の麦草峠から南へと歩く計画を立てていた。オーレンの小屋で仲間たちと合流し、再会の祝杯を掲げる。そして語らい尽くしてまた日常に戻る。そうすれば再び逢うまでの日々を、山を想って暮らしていける。
白駒池はまだ氷結したまま雪を載せていた。
森の中を、黙って歩く。北アルプスとも南とも違う八ヶ岳の森。ここを歩くのはたぶん20年ぶりぐらいだろうか。
これを見に来た。
にう(にゅう)の三角点。正式には【三等三角点 乳岩】。遠く、僕の市内の山が見えている。霞沢岳、穂高の岩峰からキレット、槍。蓼科山の隣にははるか立山。
近づいて来た天狗岳を眺めながら、僕は何度もため息をついた。背中の食材の重みが、次第に苦しくなって来たのだ。思えば、肉と餅と酒だけで3キロ近くある。総重量では15キロもないだろうけど、しばらくぶりのテント泊(しかも2泊)の装備が肩に喰い込む。
ぐぬぬぬぬぬ。これではオーレンまで辿り着けない。天狗越えができない。
やむなく、本当にやむなく、僕は黒百合ヒュッテの扉を開け、感じのいいスタッフにテン場使用を請うた。雪をならして幕を張り、外に寝そべって酒を流し込む。
一眠りしてからヒュッテ前のあの丘に上がって景色を楽しんでいたら、途中で何度か会話を交わした山ガールさんがやって来た。
滑ったり、転んだり、ごろごろしたり。素敵なガールさん、いつかまた、どこかのお山で!
ガールさんとの雪遊びを切り上げ、そうだ、明日に合流する仲間たちの為に黒百合に居ることを伝えておこう。そう考えて僕は中山峠に向った。電波をキャッチする為だ。
「俺は根石岳のてっぺんに居るのだが、imalpの野郎はまだ来ねぇのかごるぁ」という、畏れ多くも師匠のメッセージを拾ってしまった。
し、師匠のご到着は明日では.... 完全に狼狽してしまった僕は、もうパニックに陥っていた。師匠を待たせたまま、黒百合で山ガールさんと雪遊びしてたなんて、死んでも言えない。
僕は師匠のこのメッセージを見なかったことにしてテントに戻った。そして知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、昼寝することにしたのだ。
「いーまさぁーん」
誰か、僕を呼んでいる。まさか師匠が待ち切れずに迎えに来たか。しかし声が違う。
げぇええ。信じられん。
僕のエスパースに近づいて来たのは、Team R.O.Dの夜明けのランブラー先生と、ULガレージメーカーWanderlust Equipment先生。有り得ねえ。これは幻か飲み過ぎか。
「よぉいまさん、久しぶりだww」
うがががががが。Wanderlust Equipment先生とは、3年半ぶり。ランブラー先生とも同じくらいのご無沙汰。
「いのうえさんも、その辺に」
うわ。心臓がぶぶぶぶっと音を立てて胸郭の中を上昇してくる。放置民先生まで? このままでは心臓は口から飛び出てしまう。そんな錯乱状態で旧交を温め再会を祝い、山とランと道具を語り、人生を語って夜は更けていった。
し、しかし。僕が黒百合に居るかもしれない、という不確かな状況で中央道をひた走り、ここまで登って来てくれるとは.... 三人とも、ピークを踏むためにここへ来られたのではない。いくたびか絶句し、感動を胸に僕は眠りに就いた。風が出てきてテントを揺らす。ポールが軋む。でもそんなこと屁でもないぐらい、僕はしあわせだった。
翌朝。
お三方に別れを告げる。次回、会えるのは何時? その思いがよぎる。再会できた悦びと別れの寂寥と、そしていつかまた会えるという期待と、複雑にない交ぜになった気持ちで僕は南へ向った。大分軽くなった荷を背中に。
黒百合から天狗の登りでは、僕は風に叩かれていた。凄い風だ。あっちこっちで遭難事故が起きた天候と知ったのは後のこと。
ぐがぁっ! ふんまあぁっ! バリゴの高度計で気圧表示モードにしていたのだが、下がる下がる、高度によるものではなく、ゆっくりとうねりのように気圧が下がっている。何度も風に突き飛ばされながら東天狗を超え根石岳の山頂を踏み、箕冠山の南の樹林帯をオーレンの小屋まで降りる。
オーレン小屋のテン場では、仲間たちが待ってくれていた。師匠は昨日から幕営、今朝着いたメンバーは、夜明け前に桜平を出たとのこと。いまにも降り出しそうな空の下、僕の到着を待たずに酒を呷っていたようだ。これぞ我らが幕営団、なぜ山に向うのか、そこに酒があるからだ。
きまっつぁん、再会が叶いました!
師匠、昨日は申し訳ないことでした。師匠と山ガールさんと、悩んだんです。
お嬢、お世話になりました。また酌み交わせる日まで!
雨が降り始める。全員がシェルのフードを被っている。担いで来た食材を焼きながら、あるいは温めながら、飲む。雨が霙から雪に変わってもなお、マグにフタをしながら飲み続けている。これぞ幕営団。
しかし本降りとなって宴はお開き。お昼寝タイム。
フライを叩き続けていた雨音が止む。ガスが渦巻くも明るさは残っている。中断した語らいを続けよう。
山のこと。下界のこと。そして未来のこと。話題は尽きない。しかし、何を好き好んで雪の上にケツを据え、氷点下の空気の中で指先を冷やしながら人生を語り合う必要があるのか。温泉宿で浴衣にくつろぎ、座敷に御膳を並べても良いではないか。
いや違う。僕たちは望んでここへ来た。山に来れば、おのれの歩幅分と歩数の掛け合わせしか移動できない。おのれの背中で担いだ分しか飲み食いできない。だから、おのれが何者かを理解することができる。おのれにできることが何か、推し量ることができる。
下界で暮らす僕たちは、常に自己否定をしている。時間が無い、休みが無い、お金が無い、余裕が無い、気が付かない、届かない、見えない聞こえない感じない。そうやって無い無いとネガティブな経験を重ねて生きている。
けれど一転、山に入ると僕は肯定される。山は、おのれが何者でも無いのではなく、何者であるかを突きつけてくれるからだ。そう、おのれが何者だったかを思い出させてくれるのだ。
僕が山に入って三日目の朝を迎えた。
渋滞を避ける為に帰路を急ぐメンバーと別れ、オーレンの小屋を後にする。チャイさん過去二回、硫黄岳に向うも断念するという黒歴史があり、今回はなんとしても硫黄のてっぺんを踏んでみたいとのこと。
夏沢峠の風は強いが前日に較べたら頬を撫でるそよ風のようだ。
雪の斜面を這い登り、ケルンをいくつか数えたらだだっ広い山頂。正面には南八ヶ岳の峰々と南アルプスが聳立していた。チャイさんよかったね。
桜平へと降りる途中、チャイさんが松本まで送ってくれるという。厚意に甘えて中央道から長野道へ。
松本インターで降りたら街中でトンカツを味わい、我が家で珈琲を差し上げての休息後、見送る。チャイさんのジムニーが角を曲がって見えなくなったとき、今回の山旅も終わってしまったんだと、すこし切なくなった。
山の神さまありがとう。みなさんにも、ありがとう。