年の瀬の一日、少し離れた街まで、鮪を味わいに出かける。
よく晴れて風の冷たい夕刻、シェルを羽織って念のためにクラバも携え、家を出る。飲みに行くというのに、松本御城下の街に降りて行くのではない。裏山というか、西の方の丘を登って行く。
僕の住むまちは松本市街地の外れで、田園に接する。少しのぼって行くと神沢池という静かに水をたたえる池に出る。風がやや強いにもかかわらず、不思議とみなもは穏やかだった。
果樹園の小道をさらにのぼって行く。松本市街地の東半分が、眼下に広がる。左から袴越山、美ヶ原王ケ頭、茶臼山、三峰山、鉢伏山。
のぼり詰めた先からは、北アメリカプレートが糸魚川静岡構造線に向かって落ち込んでいるプレート境界を見下ろす。安曇野の盆地の下に構造線が通り、その向こうにユーラシアプレートの端っこが見えている。端っこといっても、標高三千メートルに聳え立つこの列島の屋根だ。
風景を楽しみながら、今宵出会うであろう鮪の味わいに思いを馳せている。
こんな小道を辿りながら、嗚呼赤身、うう中トロ.... そんなくぐもった声が出てしまう。
ここが犬飼山。
お社がある。ここから急な山道を200mほど下って行く。帰路、夜はここを登り返そうと思っていたが、やめておこう。
お参りする人たちが手入れしているのだろう。しかし倒れた巨木や崩れた土留めなど、夜間に歩くのは容易でもないな。
おびただしい数の石たち。祈りの深さ、願いの切なるを伺い知る事が出来た。
朽ちかけているが、荒れてはいない。
正月を迎える準備は整っていた。
犬飼山を下って、奈良井川を渡る。この堰で拾ケ堰(じっかせぎ)の用水の水を分ける。用水はたたえた水で安曇野を潤し、烏川に注ぐ。
会えた。まぐちゃん。おいしい。好きだよ。愛してる。
のろのろと過ごしているうちに、なかなか山にも行けず、旅にも出かけられず、日々は過ぎた。気がつけば今年もあと残り8時間余り、時の流れとは忙しいものである。ことし得たものは指のひとつふたつで数え足りるだろう。一方で喪ったのはウイスキーのボトルと人生の残り時間。それでも僕は、今年いち年の山の記憶と味わい、えにしと出会いに感謝して、そして未来への希望を胸に生きていけそうだ。
ここへ来てくださったすべての皆さん。穏やかにこの年を送り、そして新たな良き年を迎えてください。信州松本のはずれから、お祈り申し上げます。